夜中に

昨夜ごぞごそと片づけを深夜にしていると、とある詩に出会いました。

人形
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸〈腹〉をふくらませてみたりつぼめたりしていた
    八木 重吉
毎月幼稚園から持って帰っていた月刊絵本。
その中に挟んである冊子に、いろんなエッセイやテーマに対する投稿や、回毎の絵本のコメントなどがあるのですが
この冊子が私は好きで子どもも「ハイ、母さん。これ読むんじゃろ」
とよく渡してくれていました。意外とちゃんと子どもも見ているんですよね。
なるべく子どもに対して、親が本や新聞を読む姿は見せておきたいと思っています。
やっぱり寝転んでお煎餅バリバリかじっている姿もアリかもしれませんが、少なくとも幼少期はたとえみせかけであったとしても、
手本になる姿をみせておくべきでは、と私は思っています。
いっつもいっつもきちんとしていてはもちろんしんどいですから、「そんなくだらないテレビなんか見て・・」
とかいいながら、みなが寝静まってからたま~に、くだらないテレビをぼんやり眺めることもありますよ^^;
うちの子は本を読まない読まない、と嘆くお母さんもよくいらっしゃるけれど
きっとそのお母さんも昔は読んでいたのかもしれないけれど、今はあまり読んでいないのでは!?
絶対子どもは親の姿を見ていますから、こんな子になって欲しいと願うのなら、こんな子になるような親でありさえすればいいんじゃないかなって思います。
で、話はそれましたがこの詩
もうその情景が目に浮かんで微笑まずにはいられなくなったんです。
歌いながら去っていく桃子ちゃん。
ささやかなこのお人形が、どちらもの心情をうまく汲み取りながら、お父さんの背中でかすかに上下しているそこには
穏やかな春の日差しが感じられて、あ~いいなぁ、と・・・・・・
あと何年わが子とこんなやり取りが出来るのかしら、とフッと寂しくもなりました。
大きくなぁれ、と願いながらもう少しこのままでいさせて、とも願ってしまう母でした。

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