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パリのお葬式

今日付けの流通新聞にフランスの最近の葬儀について記事がありました。 フランス人の8割がキリスト教会でお葬式を行うそうですが、式の中身は似たり寄ったり。 そんな中、本人の個性を尊重したお葬式を提案するパリの葬儀ビジネス会社 『L'AUTRE RIVE』(ロートル・リヴ、向こう岸という意味)が話題だそうです。 遺族とじっくり話をして故人の人となりをよく理解した上で、遺族と一緒に葬式を作り上げる、とまさに今の日本の新しい流れと同じですよね。 棺は好みの色や花で装飾できる、というのも日本と同じですが、でもフランスらしいな、と思うのが真っ白な棺に遺族が絵を描くというんです。 素敵だな、と思いませんか。 3時間ほどかけて家族が一緒に装飾することによって、悲しみが癒される、心理的な効果もあるそうです。 なんだか分かるような気がします。 故人のために、今さら何もしてあげることが出来ないもどかしさや、やるせなさが絵を描くとか、何でもいいんです、故人のために何か自分がする、それだけで残されたものは救われるんだと思うのです。 葬儀社の人が何でもしてしまうのではなく、自分たちが故人のために何かしてあげることがあれば、とても気持ちが落ち着いてくるように思います。 お線香の番をすることもその一つなのかもしれませんね。 葬儀にかかわらず、どんな時でもどんな人でも、自分の役目があることは、自分の存在価値があると感じられることは、大切なことですから・・・・ 本人が好きだった音楽が流れ、参列者は全員カラフルな服装、本人が準備したおいしいワインを飲むなんて、型にはまらないフランス流の新しい葬儀。 でも、これだけ死について自分らしさを求めることができるというのは、平和であるということ、豊かであること、ともいえるのですよね。

お餅つき

今日は幼稚園のお餅つきでした。 もち米の蒸すあの独特の匂い。 あわただしい年末の風景が蘇ってきました。例の「プルースト効果」ですね。 おばあちゃんがチョイと握っただけで、面白いように親指と人差し指の間から、ニュッとお餅が覗いて、シュッとちぎる。 いとも簡単にしているけれど、やってみると熱いし、ひっつくし、切れないし・・・・ おばあちゃんの魔法の手。 そんなことももう何十年も前の話。 年末にお餅つきをしている家庭は、いったいどのくらいいるんでしょうね。 お餅をつくことができるのは、年長さんだけ。 年少と年中は掛け声の係りと丸める係りです。 年長さんになったらあの杵がもてるんだぞ、ときっと楽しみに待っていることでしょう。 年長さんは2年間待って、やっと杵が持たせてもらえるのですから、もうウキウキです! この、「待つ」時間というのは、とても大事な時間のような気がします。 「待ち遠しい」気持ちって、なんなのでしょう、大人になってもやっぱりワクワクしますよね。 子ども用の少し小さめの杵を、初めて持ち上げるときの意気込んだ顔、持ち上げた瞬間のオットットと戸惑いの顔。 どうして子どもの表情ってあんなにころころ変わって、それでいてどの表情もあんなに可愛いんでしょうね。 小さなお餅を今日はもって帰ってくることでしょう。 ぜんざいにでもしましょうかね。

語ること

以前にも少し触れましたが、「語り継ぐ」ということを葬儀社様にもお手伝いいただけないかということ。 すでに、「命の伝達式」という素晴らしい儀式を実行し、それが広がっていっている事を耳にしています。 残念ながら、体感したことはありませんが・・・ 是非、語り継ぐという部分を、宗教者の方にもお願いしたいと感じました。 今回お寺様からの説法はありませんでした。 お悔やみの言葉などはありましたし、そのときは何も思わなかったのですが、今思えばアレ?ですよね。 今頃はお話をされる方も少なくなってきているのでしょうか。 塔婆や位牌の字も、印刷できちゃう時代ですものね。 失礼な話ですが、やはり歩いていらっしゃるお姿だけでこの方なら!と感じる人と?と感じてしまう人といらっしゃいますよね。 故人のためにお経を上げることと同時に、残されたものへの何か道しるべを示してくださることができるのが、やはりお寺様ではないでしょうか。 昨年知り合いのお寺の奥さんから、お稚児さんで配った本なのよ、よかったらどうぞ、と一冊の本を頂きました。 沖縄を舞台にした、『いのちのまつり』という題名です。 沖縄の言葉で「ヌチヌグスージ」というそうです。 分かりやすくて、優しい、心のあったまる絵本です。 ご遺族の子どもさんに贈られたら、きっと大切にしてくださるように思います。 命のことって、普段は実感を持ってなかなか語りにくいけれど、こういう機会にやはり命について、自分が今ここにいるってことが、どんなにすごいことなのか考えることは、とてもとても大切なことだと思います。 そして自分がかけがえの無い存在であることを親子で確認しあえる、やはりこれも故人からの贈り物かもしれませんね。 それから葬儀社の方へ、 哀しみの場に、話し声は禁物のような気もしますが、そうではなくて言葉が見つからないだけのような気がします。 ですから、黙ってもくもくと作業をする、となりがちなところを、「よろしければ、傍においでください」、と声をかけていただいて、作法の由来や道具の意味などを語っていただけたらどうでしょうか。 ドライアイスが重たそうで辛かった、と以前書きましたが、心優しい葬儀社の女性の方が、 『そうですよね、私たちも心の中でごめんなさいね、とお詫びしながらはしているのですけれど・・・気休めでしかないですよね。 どうしても冷気は下にいくので、お身

感じたことを

そうこうしているまにも、時は流れ、そろそろ四十九日の法要の準備に取り掛からなくてはいけません。 こうして、いろんなことを順に思い返しながら文章にしていくと、本当にまたまたいろんなことを考えてしまいます。 そして、自分も含めてみんな、経験を通しての知識が少なくなっていることを改めて感じました。 情報は溢れているのに、変ですね。 結局のところ、知らない、判らない、教えて欲しい、ということをもっともっとお互いが出していかなければならないのでは、と感じました。 どうしたらいいのでしょう、と葬儀社の方、お寺様にもっと投げかければよかったのだと反省しています。 例えば、いったん家に帰るときもあれとこれと、と一人考えるのではなく、葬儀社の方に一度帰るのですが必要なものがありますか、聞けばすんだことだったのですよね。 料理を決めるにしても、葬儀社の方からこれがいいですよ、とはすぐに言えませんよね。 人数や、予算や好みがありますもの。 こちらが10人ぐらいで男性が多いのですが、と言えばではこのくらいは必要かと思いますよ、と提案できますよね。 日本酒がお好きな方が多いのです、と伝えておけばそういうふうに準備してくださいますよね。 顔のゆがみを防ぐためでしょうか、白いリボンのようなものを顎から頭にしてあったのですが、ずれていて格好があまりよくなかったのです。勝手にとってはいけないよなぁ、とそのままにしていたのですが、それら細かい一つ一つもどんどん聞いていけばよかったのですよね。 きっと、お互いどちらもが、どこまで立ち入っていいのか遠慮しあっているうちに、どんどんことが進んでいって、あとからああすれば、こうしておけば、がどうしても増えてしまっているように思います。 しかも式が終わったらもうそれっきり、ということがほとんどですから、フィードバックの難しいお仕事ですよね。 でもどうしても遺族側は、通常の精神状態ではないわけですし、やはりプロである葬儀社の方に上手にリードして頂いて、こちらが質問したり、尋ねやすい会話の持っていき方、といいますか上手く誘導していただけたらと思います。 後、細かいことですが葬儀社の方に是非・・・・ お茶はできればよいものを。 第一印象が断然違うと思います。 この度は、お風呂や洗面台、クリーニングされたシーツや浴衣など用意してくださっていたのでとても助かりましたが、流

初七日

初七日の法要の真っ最中、マンションのベルが鳴りました。 そうそう、この時もうっかりがありました。 お経を上げられる前に、焼香盆はありますかね、とご住職様。 これまた恥ずかしながら焼香盆があるかないかなんて考えてみたこともなく、お義父さんに聞いても、そういうのは無いぞ、の一言。 後日買いに行きました。 さて、ベルを鳴らしたのは墓石屋さん。 丁寧にお断りしてしばらくするとまたベルが。 次は別の墓石屋さん。 数日前には仕出し料理屋さんがチラシを持って来られました。 仏具屋さんのチラシもポストに入っていた日もありました。 これらの訪問のタイミングやチラシの入れ方、電話での第一声、とても難しいですよね。 私も仕事をしていますから、見ず知らずの方に電話をしなくてはいけないときもあれば、クレームの電話に出なくてはいけなかったり、とかく仕事の電話は難しいのはよくわかります。 DMの作り方、発送の時期、これらも頭を悩ませます。 一つでも多くの営業を取りたい気持ちもよ~くわかります。 でもやはり自分がお客さんの立場であったなら、突然の電話や訪問は不快ですし、まして頼んでもいない、聞いたことも無いところからなんて、それだけで警戒してしまいます。 今回の電話や訪問も、葬儀社さんか、位牌をお願いした仏具やさんから情報がいったのだな、と勘ぐってしまいました。 いっそのことそれならそうと、きちんと説明してくださったほうがこちらも対応がしやすいです。 ○○葬儀社様からお伺いしました。 ○○仏具屋様からご紹介を受けました。と そのうえで、お仏壇のことでお困りのことは無いですか、お墓のことで何かお力になれることはありませんか、と言ってくださればまだ少しはすっきりします。 本当に困っているときであれば、丁度よかった!と感謝されるでしょうし、うちのようにお墓も仏壇もすでにあって、しかも法要の真っ最中なんてタイミングに来られると、絶対頼まないぞ! なんて思ってしまいます。悪気があってのことではないことは承知していますがそれだけで、もう悪い印象が植え付けられてしまいます。 要は、お客様のほうから声をかけてくださる会社になればいいってことなんですよね。 それだけの魅力のある、力のある、実績のある会社になるために、まだまだ途中段階で、模索することだらけですが、私たちリフィンも日々努力をしている最中なのです。 だか

お寺参り

その後そのままお寺に向かい、お経を上げていただきました。 子どもたちもすっかり、おんころころだの、はんどまじんばらだの、不思議な呪文のような響きのとりこになって、一緒に唱えています。 教本を配っていただいて、字でみてみると、なるほど、となんとなくわかりそうな言葉や、そういう意味なのね、という漢字があって、長いお経もあっという間に感じられますね。 ホールに戻ると、葬儀社の方が入り口で温かいおしぼりと清めの塩を用意して待っていてくださいました。 長かった二日間もあと少し。 精進落としのお料理をみんなで頂いて、主人が挨拶をし、皆様を送りました。 さてその後は、自宅に帰って、祭壇を飾っていただかなくてはいけません。 祭壇が飾れるように部屋をまず片付けなくては! 狭いマンションに介護用のベッドだの簡易トイレだの、あのままでは困ったぞ!とかなり焦ってしまいました。 御霊供膳を用意してくださいね。といわれたものの、恥ずかしながら、御霊供膳が家にあるのかどうかすらも知りません。 御霊供膳を作ったことは私自身はありますが、お嫁に来てからはしたことがありません。 葬儀社さんにも用意はしていないということでしたので、たちまちは家にあるもので代用させてもらいました。 私は本家と呼ばれる家で育ちましたから、お仏壇もあれば法事も何度も経験していますし、諸々の親戚づきあいも少しは分かります。 けれども、核家族化が進む今現在、お仏壇もなければ、お線香すらあげる機会のないという人は、かなりの数ではないでしょうか。 御霊供と聞いて、すぐに分かる30代の人が何人いるでしょうか。 今回、色々な体験を通して、葬儀社さまに求められるものは、これからはもっと広がることを実感しました。 葬儀そのものだけでなく、その前後も含めてより広い知識と細やかなフォロー。 例えば、御霊供膳がないおうちであれば、その日たちまちは貸し出してあげても良いでしょうし、どうしても必要なものですから葬儀社さんから買うこともあってもよいのではないでしょうか。 今日のところは、炊き立てのご飯とお茶をお供えしてあげられてはいかがですか、という提案だけでもしてもらえれば、それだけでも、気持ちがずいぶん落ち着きます。 お寺様にお布施を渡す時もそうでした。 うっかりお盆も袱紗も忘れてきてしまいましたので、葬儀社の方に借りて恥をかかずにすみましたが 葬

斎場にて

またまた、いざ!というときに動ける人が必要になりました。 通夜の時に必要かと、お菓子だのおつまみだの買ってはいましたが、斎場に持っていくお菓子を用意していなかったのです。 昨夜の残りも後わずか。 斎場に行く途中コンビニがあるのは知っていましたが、寄っている暇はないし。 今から思えば、こういうときでもいろんな時にも、葬儀社の方になんでもどんどん聞けばよかったのでしょうね。 葬儀社の方もなかなか何に困っているのか、何を必要としているのか、わからないですよね。 結局お別れの言葉を送ってくださった方の奥様が、買いに行ってくださいましたので、なんとかなりました。 福山の斎場は数も多くて、あの煙がおばあちゃんのかな、なんて空を見上げるどころではありませんでした。 控え室では普段なかなか会うことのない親戚の方と、何かお話を、と主人は一人っ子ですから唯一の嫁としては、それなりに気を遣ってはいたのですが、こういうときの話題もなかなか難しいですね。 予定よりも早めに放送があり、お骨をみんなで拾いました。 せっかくお義母さんの好きそうな、洒落た骨壷を選んでいたのに、桐の箱に入っているから何にも違いが見えず、ちょっと残念。 でもお義母さんは、ちゃんと分かってくださっているんですよね。 子どもたちは、どんな思いで拾ったのでしょうか。 長女は4回目のお骨拾いになります。 幼い子には見せたくないと思われる方もいるでしょうね。 何が正しいか、決まりはないと思いますが私はこうして繋がっていく命を語り継いでいくうえで、貴重な体験であり、お墓参りに行ったときに、ここにいてくれているんだなって、より一層合わせる手に力がこもるような気がします。

お蔭様で

なかなかゆっくりとは寝られないものの、熱は思ったよりはやく下がり、明日の大事な打ち合わせには参加できそうです。 ありがたい事に?!我家と会社とは全てシステムが繋がっていて、家でも今現在の会社の情報がいつでも見られるし、こちらも送ることが出来ます。 ですからこうやって、会社を休んでいても、子どものことで家にいなくてはいけなくても、大抵のことは自宅でも可能なのです。 さて、しばらく個人的な葬儀のお話で、リフィンのことから遠ざかってしまっていましたが、新しいカタログのほうも着々と進みつつありますので、今しばらくお待ちくださいね。 でも義母の死という体験は、今現代の嫁として、人として、またこのリフィンに携わる人間としても、貴重な勉強をさせてもらえたと感謝しています。 葬儀の朝の所までお話させて頂いてましたよね。 参列者は私たちも含めて14名。 司会者の方にはお義母さんの好きだった「涙そうそう」と、カーペンターズのCDが渡してありました。 お経が終わると、40年以上に渡って、親族以上に深いお付き合いで、お互いになくてはならない存在である方が、お別れの言葉を述べてくださいました。 溢れ出さんばかりの涙をこらえながら、ゆっくりと丁寧に語りかけてくださいました。 昔の本当に苦しかった時を支えてきてくださった方で、今でも決して威張ることのない、常に控えめなご夫婦です。 一つ一つの思い出話をお義父さんも、ゆっくりと頭に思い巡らせているようでした。 そして最後に、これからも若い二人を精一杯助けて、力になってゆきますと、力強くお義母さんに誓ってくださいました。 この度の葬儀に関しても、私たちに代わって早くから段取りをしてくださったり、いざというときに動いてくださり、今回もまたたくさん助けていただきました。 私たちこそ、本当にいくら感謝してもたりないお二人なのです。 続いて孫三人が棺のそばに出て行って、お別れの手紙を読みました。 私も書かせたいと思っていましたし、司会者の方も書かれてはいかがでしょうと、一番最初に提案してくださいました。 前日、上二人が頭を突き合わせていました。どんなことを書いていても、訂正はしないし、こんなことを書きなさいということも一切いうまいと決めていました。 「おばあちゃんへ  おばあちゃん、病院でよくがんばったね。  ぼくたち、わたしたちががんばるから、安心してくだ

インフルエンザ

とうとう末っ子のインフルエンザがうつってしまいました。 久々の高熱です。 今日まで自宅待機を言われていた末っ子は、自分は元気になったものだから、遊ぼう遊ぼうの連続。 「ぼくと母さんはおんなじ病気じゃけえぇ、うつらんのんよね」、と嬉しそうに布団にもぐってきます。 こんな時にトイレを詰まらせてくれるわ、洗濯物は多いわ・・・・ 母はなかなかゆっくりさせてもらえません。 しばらく養生させていただきますね。

葬儀の朝

年末は寒さの厳しい日が続きましたが、そのあさは朝日が優しく射し、とても穏やかな朝でした。 10時からの葬儀でしたので、9時ごろから親戚の方が少しずつ来られて、お互い目が合うだけで、またしばしの涙。 でも、みなさん式場に足を踏み入れられると、「まあきれいなお花と、たくさんの懐かしい写真!」と目を細めてくださいました。 昨晩ですっかりお酌が上手くなった末っ子は、立飯の際、みんなにお酒を上手に振る舞い、和やかな空気を作ってくれました。 最近は精進料理ではなく、魚や卵が使われたりするのですね。 確かに精進料理だと今の私たちには物足りない感じはありますけれど、以前組内のお手伝いをしたときも、かまぼこや卵焼きがありましたが、なんだか違和感があるような・・・ 昔はこれらも、隣近所の方々が集まって用意されていたんですよね。 スミマセン、2日前から末っ子がインフルエンザになり、私も夕方から鼻がムズムズ、寝たような寝ていないような二晩でしたので、今日はこのあたりで失礼いたします。

通夜

通夜にも親戚は招きませんでした。 というのもやはり年末で新幹線はいっぱいだろうし、お歳の方に立ってまできてもらって長い夜を越してもらうのは申し訳ない、という義父なりの心遣いでした。 それを、冷たいと感じる方も、それもそうだ思われる方も、そうであっても行きたいと思われる方も色々だと思います。 31日は斎場が昼の12時までしか開いていないということで、葬儀が10時からでしたので、遠方の方は朝一番でも間に合わないので、行かせて欲しいと連絡があり、来られました。 あれだけ頑なに、来なくていいと拒んでいた義父でしたが、やはり懐かしい昔話をアレコレしていくうちに、優しい顔になり、とても嬉しそうでした。 やはり、通夜というものはみんなでわいわい言いながら、普段会えない顔が集まって懐かしい話をする、やっぱり大切な、いい時間だと私は思います。 特に子にとって親は親であり、親の顔の部分しか知らないわけです。 でも、親の顔ではない、、他の人に見せていた顔、若かった頃の話、親は話してくれなかった結婚の馴れ初めや、今は笑って話せるいろんな揉め事やできごと。 そんな知らなかったことを色々と聞くことができるのは、やはり通夜や法事のとき。 私自身も早くに母を亡くしましたから、自分の知らない母の話を、誰かに聞かせてもらいたくなることが、今でもよくあります。 来られた方も、やっぱり懐かしい顔に出会え、懐かしい話をする機会が出来たことで、改めて故人のことに、より一層の思いを馳せることができるような気がします。 アルバムを持ち込んでいましたので、それを見ながらビールがどんどんなくなっていきました。 そうそう、子どもたちも冷蔵庫のジュースをとうとう発見してしまい、 「今日と明日は好きなだけいいよ、おばあちゃんからのプレゼントだね。お礼を言っとくのよ。」 という返事に、「やったー!おばあちゃんありがとう!」とかなり遅くまで、いつもと違う夜を過ごしていました。 5日間連続で泊り込んでいた主人はさすがに途中からぐっすり。 亡くなった日は本当は私が行くはずだったところを、「やっぱり俺が行く。」 と泊まっていました。 やはり親子ですね。なにかそうさせる力が働いたのでしょう。

納棺

「あ、お線香が消えちゃう!」 と競うように枕もとに寄る子どもたち。 広い部屋に私たちしかいないので、子どもは明け方の緊張から一変、すっかりくつろいでいました。 けれどいよいよ納棺の際には言葉も発せず、表情も硬くなっていました。 一番に気になったこと。 ドライアイスというものはあんなに使わなくてはいけないものなのでしょうか。 胸の上にブロック状のものが2本。 なんだか胸が押しつぶされるようで、布団がかかっていれば見えないのですが、でもやっぱり苦しそうに感じて、なんだか辛い気持ちになりました。 両脇に置くのではいけないのでしょうか。 湯灌の儀というお話や設備を見せていただいたことがありましたが、こちらではそれはなく、綿花で拭くだけでした。 やはり長くお風呂も入れていなかったので、温かい湯に入れてあげたかった気もしますが、自分の裸を見られるのは本人も嫌かな、家族も抵抗があるかな・・・とも。 子どもの頃母方の祖母が亡くなった時、昔のお金をたくさん入れていたことをはっきりと覚えています。 「これがないと三途の川を渡れんのんよ」、と教えてもらったので、「私の時のもとっといてえね」、とおじいちゃんに頼んだことを今でも覚えています。 今は紙に印刷したものなんですね。 それぞれ一つ一つに由来やいわれがあって、子どもたちに伝えてやりたいし、伝えてやるべきだと思うのですが、私たち自身がそういったことを十分に知らないのですから、難しいですね。 昔なら親戚の中に一人や二人、詳しい人がいて語れたのでしょうが・・・ 今は兄弟が少ない、ということは親戚自体が少なくなっているのですからこの現象はこれからますます顕著になってゆくでしょう。 その語り継ぐ大切さの部分を、葬儀社の方が補ってくださることが出来たなら、とつくづく思いました。 それから納棺の際に感じたもう一点。 私と主人は棺の中で少し顔を傾けたほうが、辛くなさそうな、いい表情に見えたのでわざと少しずらしていましたが、葬儀社の方は「もう少しこうですね」と真っ直ぐに直されました。 こういった一つ一つも、遺族の想いと、葬儀社の方のよいと思われる想いと、ずれが出てしまいますよね。 その時にこう思っているのです、とすぐに伝えればよいのでしょうが、やはり専門の方がされることですし、なかなか言い出しにくいものです。 手順を説明して頂いてそれに従っていくので精

会館にて

何日か前からお医者様より心の準備をしておいてくださいと言われていましたので、地元の知り合いの葬儀社様に事前に相談していました。 皆様にはお知らせせず、家族だけで送りたいという意向もはじめから伝えておりました。 病院からそのまま会館へ。 30日ということもあってか会館は静かで、他のご遺族の方もいらっしゃいませんでした。 どこからかしら情報が漏れて、後々が大変になるのでは、ということを非常に懸念されておりましたが、年末ということが幸いしてか、一切問い合わせも無く、最後まで静かに過ごすことができました。 祭壇を使わず、お花をたくさん使いたい意向を伝えてありましたので、パソコンで打出したイメージ画を見せてくださりながら、「実はこのような家族葬は初めてなのです」とお話くださいました。 棺も家族葬でしたら、やはり小窓が付いている従来のようなものではなく、一体感があるように上半身が見えるような、アクリルのケースで半分覆われた家具調のものがいいのでは、と提案してくださいました。 諸々の時間決めや一礼の品や、礼状の文章の確認、料理や人数の確認などの打ち合わせ後、司会を担当してくださる方が来られました。 若い男性の方でした。 線が細く、とても柔らかい物腰の方でしたので、ちょっとホッとしました。 女性を送るのに、あまりゴツゴツしたイメージではなんだか・・・ やはり、優しさとやわらかい空気があれば、少しでも癒されます。 今まで、何件もの会館や葬儀社様を訪問させていただいたことがありましたが、遺族として会館を訪れると、やはりまた違った印象です。 正直、こんなに立派な会館で至れり尽くせりですごいなぁ、維持管理が大変だろうなぁ、ここまで必要なのかしら、なんて思ったこともありましたが、やはり最期送り出すときに、新しい畳のきれいな部屋に寝かせてあげれて、立派な建物から送り出せるということは、ひとつの親孝行ができたと感じる人もいるだろうなと思いました。 でもきっとそれは自己満足に過ぎないのであって、故人は住み慣れた家から出たかったかもしれないし、自分の布団に最期寝かせて欲しかったかもしれない・・・・ 難しいところですね。 さて色々な確認や、各方面への連絡後、まだ誰も朝食をとっていないので買出しに。 こんな時、お茶は部屋に準備されていましたが、お疲れでしょうとおにぎりを・・・ なんて差し入れてくださった

病院にて

看護師さんとお呼びしなくてはいけないのでしょうが、どうしても看護婦さんと呼んでしまいます。 病院ではお医者さんはもちろんですが、一番近くにいて、一番声がかけやすく、安心できるのは、やはり看護婦さん。 酸素マスクをつけていて返事ができない状態であっても、必ず 「体温計らせてくださいねー。」「足をちょっと動かしますよー。」「痛いよねーごめんね、すぐすむけーね。」 と声をかけてくださいながらの処置は、本当に有難かったです。 夜中も何度も来て下さっていました。 「どうぞ、休んでいてくださいね。」 とは言って下さるものの、やはり何もできはしないのですが起きてしまいます。 病院の簡易ベッドは、もう少し何とかならないものなんですかね。 ギギギ、ときしむ音と幅の狭さ。貸してくださる布団も下についてしまうし、長さも背の高い方だと足りないと思います。 「最後にみなさんで、体を拭いてあげられますか」 と蒸しタオルを渡していただき、額や足を拭くと 「もう少し処置がありますから、外でしばらく待っていてください。」 と言われ、二十分ほど待ちました。 薄くお化粧もしてくださいました。 私の母のときもお化粧をしてくださっていましたが、余りにもいつもと違うメイクと口紅の色で、なんだか母じゃないみたいで嫌だった記憶があります。 当時18歳の私はそれを口にしていいものかどうかわからず、結局あとになって姉たちとあの化粧は違ったよね、と話したものでした。 今ではエンジェルメイクといって、講習会があったり専門的な知識や技術をもっている方も多くなったようですから、そういった違和感のあるメイクは減っているのでしょう。 お義母さんも、薄いピンクの口紅で、普段どおり色白のきれいなお義母さんになっていました。 ただ、『エンジェルセット』と透明のタッパーのようなケースにサインペンで走り書きがしてあったのが、少し残念でした。 ひとつの道具に過ぎないかもしれませんが、やはりきれいなケースに入れておいて欲しかったなーと。 自分の化粧ポーチも、お気に入りの可愛い柄や、きれいな模様や色を選びますよね。 12月30日朝8時に、担当の先生をはじめ大勢の看護婦さんに見送っていただきました。 長かった病院とのお付き合いが終わった瞬間でした。

初七日

昨日義母の初七日を終えました。 昨年末、30日に義母が他界いたしました。 7年前にあと三ヵ月と宣告されてから、その日まで、義母はよくがんばりました。 義父もみんなも、それぞれができることを精一杯がんばりました。 ですから、みんな悔いはありません。 亡くなる一週間前から毎晩泊り込んでいた主人から、深夜3時の電話。 いつでも出られるようにと、寝る前に用意していた服に子どもたちを着替えさせ、義父と一緒にタクシーへ。 駆けつけたみんなに、もちろん声は出せませんが、確かに義母は気が付いていました。 みんなで手を握り、足をさすり、心で話をしながら静かに静かに時を過ごしました。 そして6時半。 静かに静かに息が消えてゆきました。 義父の強い希望で、皆さんには非礼を重々承知の上で家族だけというかたちで、通夜を行い、葬儀も家族葬を行わせていただきました。 葬儀社の方の「本来ならば、非礼となるところでしたが、年末ということで配慮というかたちとなりましたから、よろしゅうございましたね。」 という言葉に救われました。 私自身、年齢の割りに葬儀に出た数は多いほうですが、中心となって決めたり具体的に動いたのは初めてのこと。 改めて、戸惑うこと、有難かったこと、気になったこと、色々とありました。 感じたさまざまなことを次回からつら・つら・と書かせていただきます。 まずは、ご報告まで。 各方面の方々に、失礼が多分にあったこと、心からお詫びいたします。 できましたら、義父の気持ちをお察しいただいて、この出来事は読んでくださったかたの胸のうちにしまっておいて頂けたらと思います。 お心遣いもこの度はご辞退させて頂いておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。