高野山へ
供養祭をしますので、是非ご参加ください。 そんなご案内をいただきまして、旦那さまと2人久しぶりに高野山へ。 義父は四国八十八カ寺参りをずっと続けておりました。週の半分は自分で運転してお四国へ。 始めたのは70歳過ぎてから。せっせせっせと通い詰めて、あっという間に銀のお札を納めるようになりました。 気が付けば金のお札を納めるまでになっていました。とうとう錦のお札を納めるまでになったとき、嬉しそうに長女を呼んで 「どの柄がいいと思うか?」って長女に尋ね、一緒に選んだ柄で錦のお札を作りました。 「この子はセンスがえぇ。上品ないいのを選んでくれた」、ととても嬉しそうでした。この錦のお札は必要とする沢山の方の手元へと届いたようです。 この度、四国八十八カ寺の先達さん達の慰霊碑に義父もいれていただきました。 全国の昨年亡くなられた先達さんのご遺族の方がたくさんたくさん集まられていました。着いた時にはそこまでいらっしゃる風ではなかったのに、 どこからそんなに湧き出てきたのかと思うほど、ビックリするほどの人数でした。 皆さん般若心経を唱え粛々と順番にご焼香をしていきます。 不思議な一体感がありました。 式が終わるとあっという間に皆さんまたどこかしらへそれぞれ散って消えていきました。 義母さんが亡くなった時にみんなで来たね、あそこのもみじの下で写真を撮ったよね、何だか老夫婦みたいにいろんな思い出話をしながら 9年前みんなで休憩した茶屋でお弁当をいただきました。 居たはずの人が、一人、また一人とこの世から去っていきます。でもこうやって思い出を語り合う時、そこにきっと傍にいて笑って見ていてくれているんだと思います。 「こうやって、プレッシャーをかけてやっておくんじゃ。」と立派なご位牌を高野山に作った義父。 その時は、そんなものをえ~~っ高野山にも作っちゃう??と正直思いましたけど ニヤニヤと嬉しそうに満足そうに「よしよし、ちゃんとしてくれとるの」、と見てくれていたような気がします。 確かにプレッシャーでもありますが、だからこそ意地でも、という踏ん張りにもなっていくであろうことも、今また少し解ります。 お墓であったりお仏壇であったり、そういう目に見えるものを後世に残したかった代々の想い。でも今この現代において目に