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お風呂

知り合いが、山村、というとなんだか大袈裟ですが、街中から山の方へ引っ越して新たなセカンドライフをスタートさせたんですけど 先日、お風呂は薪で炊いている、という話を聞き、どの手順が良いとか、どう薪を置くと持ちが良いとか、最初の着火にはこの葉が効果的とか やっと少しずつ慣れてきたけど、炉の掃除や手入れなど、なんだかんだで1時間とか余裕でかかるらしく 更に、今は薪があるけれど、いずれこれが尽きたら木を伐り出しに行くか、道の駅で買うかになる、なんて話で、え~~~!!ってみんなで叫んでたんですが 私も幼少期、五右衛門風呂だったので、うちは、大量の紙のごみや落ち葉があったのでそれらを押し込んでは、炬口の前に段ボール敷いておじんじょして あ、ちなみに私たちの地方は正座のことを『おじんじょ』といいます。可愛いでしょ。 メラメラ燃える炎をおもしろ~~って、眺めたり、灰を掻きだしたり、テレビドラマみたいに、湯加減どうですか~?って叫んでみたり、結構好きなお手伝いの一つでした。 今はどの家も内風呂になり、内風呂って言葉も今の平成、令和の方々は聞き慣れない言葉でしょうね^^; シャワーなんかメチャ進化して、すごい競争になってホテルとかで水圧がちょっと低いとか、穴が細くて勢いいいけど強くて痛いとか なんだかなぁ、なんてシャワーによって文句言ったりしていますが、慣れって怖いですよね。 無くて当たり前から、あって当たり前になって、もっと、もっと、と上を望んじゃいます。  石川県のアチコチで、お湯がたっぷりの湯舟は勿論、シャワーも浴びることのできない方々がたくさんいらっしゃいます。 ひねれば出てくる水やお湯は、当たり前ではないことにあらためて感謝して、ゆっくりお湯に浸かりたいと思います。    

プロの仕事2

プロの仕事、としてですね、もう一つモヤモヤしていることが・・・・ 両親の時も姉の時も、すぐに駆け付けてくださった、家族ぐるみで古くからずっとお世話になった方が 「これはね、仏様ではなく皆さんでね、お手伝いくださってる方々でね、合間に召し上がってね」 とお饅頭の詰め合わせを持ってきてくださったことが強く印象に残っていて 今回こそは、私がそれをさせていただく番だわ!!と思ったのですが、その時の熨斗が思い出せず・・・ 何とか見舞いだったような気もするし、忌中見舞いというのは出てきたけど、なんか違うような気もするし、ネットで探して益々混乱。 儀礼関係に詳しそうな友達に聞いてみたりして、最終、お店の方に聞けば教えてくれるよ、になったのですが お店で尋ねた人も、更に別の売り場の方に相談し 、結果すすめられたのが『志』 なんか、それっぽいけど、意味合い的に違うような、でも私にも確信は無いし、じゃ、それで、と用意していただきましたが やっぱり、私の表したかった思いは『志』ではないようでした。 あぁ、はやく剥がしてみんなでとっとと食べてくださってたらいいけど、誰かがアラこんなところに、と仏様のそばに置いてくださってたら、恥ずかしい・・・ やっぱり、いっそのこと『御供』にしておけば無難だったかも・・・・・と。 こういう冠婚葬祭事は地域色も強く、色々なので、これだけ人類大移動すると北の文化風習も南の文化風習も交わり合うし 非常に希少性の高い風習も、何かに取り上げられてネットの上の方に出てくるようになったりすると、そんなものかと一般化してもおかしくない昨今。 やっぱり私達含め、そういうのに微妙に知っているような実はよく解っていないという世代がどんどん主流になっていくこれからですから やっぱりプロとしての知識を持ち合わせていないと、お互い困りますよね。 友達がもう遅いだろうけど、今朝言ってたのはこれかなと、『お淋し見舞い』ってのを見つけてくれましたが 岐阜の一部地域らしいです。でも、ちょっといい言葉だな、って思いました。 が、これもネット情報なので、どこまで岐阜で一般的なのかは??です^^;

プロの仕事

コロナの位置づけが5類になって、様々な行動制限が緩和され冠婚葬祭も少しずつ集まる人数も増えているようですが 久しぶりにお通夜に参列した際に、受付で「満中陰のお返しも一緒にお渡ししております」と渡していただきまして ほ~、今やそういうことなんだ、ととりあえずは受け取って、そうか送料もかからないし、名簿を作って、この方にはこの額のモノ、こちらへはこの額で で、この方は誰の関係?どういう関係??って親戚やお手伝いくださったとか、関係ありそうな方に名簿をグルグル回覧することも要らないし、 フムフム手間が省けるなぁ、と感心しつつ ん?でもさ、四十九日が過ぎて、正直こちらも少し忘れかけている頃にお返しが届いて、あぁそうだったな、無事ご供養も一区切りね、って ご遺族のことや、何より亡くなられたご本人のことを思い出すきっかけが、無くなっちゃわない?? 遠方だったり、都合がつかなくてお香典を預かっていく場合もあるけど、その人には預かった人がその任務を負うことになる、ってこと? とかいう疑問もムクムクと。 それぞれの意味や意義、と手間暇の部分と、何が正解とかでは無いけれど、きっとその提案は葬儀社さんがされていると思うので そこの説明や、メリットデメリットをちゃんと喪家の方に伝えてからの、どちらにされますか?だったのかなぁ、と。 最近は皆さんそうされますよ、で終わってないよなぁ、と余計な心配をしてしまっております。 色んなことでいっぱいいっぱいの喪家の方々にとって、「最近は皆さんそうされますよ」はもう誘導尋問みたいなもんです。 って、その葬儀社さんがそう言われたかどうか、聞いたわけではないので、ちゃんと説明されてたら大変失礼いたしました、m(__)m ですけど 葬儀に限らず、何かを決める時って、どんなシーンでも「皆さんはどうされますか?」「一般的にはどうですか?」って説明するほうも尋ねるほうも言いがちです。 その方にとって『一番大切にしたい事』、を置き去りにしない、分かりやすい選択肢を用意して差し上げるのがプロの仕事かと。 勿論、私達の仕事でも、ですね。  

若さ

結婚した娘が、旦那さんの転勤先でも教員を続けておりますが、楽しくて仕方なさ過ぎて、ついつい張り切っちゃって、週末になると熱を出していたらしいので  3学期からは、お互い早く帰る!と約束をしたにもかかわらず、新学期始まって2週目からその約束を破って遅くなっているようです^^; かくいう旦那さんも遅いので、お互い様らしいのですが、はたから見ると新婚さん大丈夫?とか思っちゃいますけど 仕事が楽しくて、やりがいがある、ということもとても有難いことですし、なんといっても所変われば、で様々な違いに驚きも戸惑いもありながらも やっぱり、違いを知るというか、こういうやり方もある、こういう場合もある、こういう考え方もある、こんな人もいる、をたくさん知っていることは 大変なこともあるけれど、引き出しが増えて成長できることに間違いなく、旦那さんも初めての任務地&新部署でして 夫婦で貴重な経験を日々させてもらっているんだろうなぁと、頼もしくも感じています。 でもやっぱり親なので体のこととか心配にはなりますが、ま、自分も振り返れば若いうちは少々寝なくても、少々無茶しても、無理をしているという感覚は無かったし それなりに何とかなっていたので、きっと彼らも何とかなっているんでしょう。 若いっていいなぁ、とも思います。 でも、また戻りたいか?と問われると、もういいかな、とは思います 笑 でも、今のダラダラした夜9時からの過ごし方は、流石にそろそろ卒業しなきゃとずっと思っているままなので 娘がする、と言って結局残していった、美しいペン字セットでも開いてみようかな、と思っています。 思っている、だけでも、開くだけ、でもいけませんけどね^^;  

1月17日

温暖と言われるこの瀬戸内地方も、冷え込みの厳しい今朝でした。 そして今日は阪神淡路大震災から29年目の朝でもありました。そして石川県はじめ北陸地方はいまだに余震が続いています。 東北大震災もまだ寒さの残る厳しい時期でした。 暑い夏には水害が、寒い冬には震災が・・・・ 忘れかけそうになる、そんな時に繰り返し起きる様々な災害は、私たちの記憶をまた呼び覚ましてはくれますが その時に失うものの大きさは、はかり知れないものがあります。 阪神淡路大震災の1995年はボランティア元年となった、と今朝のラジオで流れてきましたが、 個人やグループ、団体の使命感だけに頼っていては、いずれ限界が訪れます。  それらの持続的な活動を支援するためにはどうすればよいのか。高齢化も進む中、後継者となる人をどう育てるのか、どう次に繋げられるのか・・・・ それぞれが抱えている問題が、きっと沢山あることでしょう。 持続可能、ってワードが多用されますが、実際持続させる、って本当に大変なことだと思い知らされることだらけです。 持続させるには、やっぱり時と場面をちゃんと見極めて、変わりながら変えながらの柔軟性が必要なんだと思います。 次へのバトンタッチの我々世代は大事な中継走者です。 社会と関わり合いながら、家族や仲間達と刺激を与えあいながら、硬くなりがちな、頭と心を、そして体もね、ちゃんと揉み解してかなくちゃね、と ずっとあの時のままのお空のごいちゃんに、話しかけてみる1月17日です。    

その辺にいる、コロナ

「コロナ」というワードはネットやニュースであまり見かけなくなり、インフルエンザとか、ノロウィルスなんてワードの方がよく聞きますが コロナって、いるにはまだいるんですよね。その辺に、普通に。 今現在会社の誰かが、ということは無いし、もうあの初期のように必死で隠すというか口に出せない状況では無くなったので 〇〇さんがコロナで新年会、来られないそうですよ~、へ~コロナってやっぱりまだいるんですね~なんて話でも、名前を出せるようになりましたが 先日も、知り合いがコロナ療養中、ってたまたま連絡したらそんな返事が来て、あ、やっぱりコロナって、そこら辺にいるんだね、って改めて思っています。  正直、手洗いも少々テキトーな感じになっているし 私はマスクとっとと外した派でありながら、うがいを毎回しているか?というと、していないし^^; 会社の消毒液の減る量も激減しています。 必要以上に恐れる必要はありませんが、でも手洗いうがい、という良き習慣を身につけていたはずですが、段々と意識が薄れているのは間違いありません。 私含め、コロナに罹患していない人は実感や苦労を体感しないままなので、ま、大丈夫でしょ、って思いがちです。 手洗い・うがい、という習慣をもっと完全に定着させる意識や取り組み必要ですね。できていない自分が言うのもなんですが、 続けてコロナ療養中という話を聞き、流石にちょっと考えさせられています。 寒さもここからが本番。皆さんコロナもインフルエンザも、その辺にいるみたいですよ。 手洗い・うがい、今一度徹底させましょうね!!

断捨離中

昨年から断捨離を試みているのですが、食器棚やタンスの中身が減ったり、押し入れの中身が減ったりは確実にしているものの 中にあるものが減っただけで、部屋そのものが変わるわけではないので自分なりに頑張った割に、見た目大した変化はありません。 母の服も着るわけでもないのにずっと引き出しに入れていましたが、ようやく手放すことが嫌では無くなりました。 手放すというと聞こえは柔らかですが、結局は処分するってことに違いないのですけどね。 嫌でなくなるというより、惜しいような寂しいような気持ちは勿論ありますがそりゃそうだな、と思えるようになったという感じでしょうか。 だって、母の亡くなった時の年齢になろうかという頃ですから、流石に心の整理がついています。 でも考えてみれば、それだけの年月が経ってようやく、色んなものが処分できるようになったのですから、近しい人を、しかも突然に失った方々が どれだけの時間を必要とするかというと、やっぱりそれなりに、それだけの時間が必要なんだと改めて思います。 それでも、いくつかの着物やこれだけは、というセーターはまだ手元に。笑 いつか使うかもと、後生大事に取っていたマタニティのあれこれも、見たらゴムがダメになってて潔く捨てました。 でも、布おむつとおむつカバーは捨てきれず取っています。笑 やっぱり、断捨離できているとは言い難いですね^^; そうそう、Wiiも売りに行ってみました!!ゲームソフトやハンドル、ザッパー等含め本体一式。さて、How much? ちょっといいランチくらい食べられる??とか、いやいやそう甘くはないか、とか・・・ で、 総額 790円也~!!! 信長の野望が500円でしたから、あとはまさに二束三文。 は~~~・・・・ですね。仕方ない。  

出雲大社にて

恒例の西宮神社の福男選びの早朝の疾走する様子がニュースで流れていましたが、4年ぶりという行事が目白押しですね。 行動制限の無い今年のお正月は何処も賑わったようですが、出雲大社も大勢の人ではありましたが、正直、初めて参拝した28年前頃に比べると 全然今は交通渋滞も可愛いものですし、神楽殿の前に並ぶ行列もそれほどでもありません。それだけ色々な娯楽も出来て分散し、交通網も発達したということでしょう。 参道までの景色も随分変わりまして、その頃スタバもお洒落なカフェも勿論無かったし、お土産屋さんも数えるほどで、ぜんざいが名物とか言ってたっけ??って感じです。 さて、コロナ禍ではあっても、それなりに観光バスなども戻りつつあった昨年。閑散としていた一昨年 そして私たちだけでお祓いをしていただいた行動制限だらけの3年前から連続して コロナもひと段落した今年2024年も、270畳ある神楽殿の最前列中央の席を手に入れることが出来ました!!! 心静かに、お祓いの時を待っておりましたが、入室して来られる神社関係者の人数がアレ、少ない? 巫女さんも、アレ?一人??太鼓もお一人だけ?? 働き方改革なのか、人手不足なのか、ま、それも致し方ないか・・・とか思いめぐらせながら巫女さんの鈴の音も、今年はなんだか寂しくて 諸々の儀式が進み、次は玉串ね。今年は運良くいつもの団体さん達が居ないし、名前を呼んでもらって前で玉串の拝礼が出来るかもと内心ワクワクしていましたら 宮司さん、手にお守りなどを盛った長膳を持って現れて・・・アレレ玉串カットですか?? コロナ禍でお神酒の振る舞いとか無くなって、そもそも飲酒運転になっちゃうし、その復活はもう無いだろうな、は分かります。 人手不足で、巫女さんの2人確保は難しかったのかもしれません。  神道の詳しいことは知りません。でも、玉串拝礼は一番大事なところというか、ナシってありなん!?!? もし、時間短縮や式進行の効率化図りたいなら、270畳もあるのですからもっと人を一度に入れても問題ないでしょうし 入り口の受付を各自手書きして、更にそれを神社の方がさらに手書きで清書し直すのに並び、待つというあの列を工夫するとか、見直す余地はありそうです。 新年早々、愚痴っぽくて申し訳ないのですが^^; 様々な変化に対応すべきところを見誤ってしまうと、なんだかおかしなことになっちゃうん

新年に寄せて

新しい年を迎えて、はや9日が過ぎようとしています。 まさかの元旦の大地震でスタートをした2024年ですが、先ずは被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。 また、余震が続く中での救助活動や日々の生活の為に現地で働いてくださっている方々、本当にありがとうございます。 元旦と言えば、今年も出雲大社に参拝しており、それを知る人からは帰ってる?大丈夫?と連絡をいただきました。 ご心配くださって、ありがとうございました。 朝見たばかりの、神々が通るといわれるあの稲佐の浜あたりの海岸も、真っ赤に表示されたテレビに映し出される日本地図を見て 何時、誰が、何処で被災するか、或いは事故に遭うことだって、事件に巻き込まれることだって 何の不思議も無いことを思い知らされました。 能登半島には生地を織ったり、染めたりしてくださる工場が多数あります。被災により納期の遅延や生産の状況が大きく変わる可能性もあるという一報が早々に入っておりました。 親戚がいるいない、知人がいるいない、だけではなく、こうやって色々な形で人は関わり合っているんですよね。 離れた地の私たちが今、できることは限られていますが、先ずは心を寄せ、それぞれに出来る可能なことを一つずつ積み重ねていきたいものですね。 最後になりましたが、本日3600回目の投稿となるようです。 本年も、その時々にあったこと、感じたことを、つら・つら・と書き連ねて参ります。 うんうん、とか へ~とかえ~、でも構いません。気の向いた時、お付き合いください。 今年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(__)m