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3月, 2011の投稿を表示しています

ありがとう

「ジャガビーを食べてね、箱をつぶしてたたんだらさぁ 『たたんでくれてありがとう』 って、書いてあったんよ、かあさん!!なんか、すごくない!」 末っ子ちゃんが昨夜ご飯を食べながら、教えてくれました。 たたんだ人にしかわからない、たたんでくれたからわかる、小さな「ありがとう」は 大きな感動となり、また次の人へと伝わります。 「母さん、そういうの、母さんの仕事もすればいいじゃん!服のどこかに印刷するとかさ、つけるとかさ!」 長男君も加わります。 「着てくれてありがとう、とか、あ、仕事の服だから、お仕事ご苦労様、とかいいんじゃない!」 娘もアレコレ口出してきました。 「お~みんな色々アイデアありがとね。そういう気持ちは大事よね。だからね、そういう想いをなんとか伝えようとね、 実はもう少ししたら、あることを始めようと、準備してるとこなんよ!」 子どもたちが、私の仕事をそういう風に一緒に考えてくれたことも、まさに 一緒に考えてくれてありがとう、でした。 「ありがとう」 何度言っても、何度聞いても、ほんとうにいい言葉、ですね。。。

導かれ・・・・

カタログの表紙の最終決定は、社長。 もちろん、そこまでにいくつも案を出してもらい、みなでああでもないこうでもないと好き好きに口にしますが 今回の表紙を決める際に、迷いに迷って決めた色があったのですが 他の話題の時に、ふと社長が 「やっぱり、表紙他の色ないですかねぇ。もっとね、なんかこれもね、いいんですけど、ちょっと暗いというか重いというか・・・・・」 ということで、急遽いくつか案を出してもらっても、違う違うこんなんじゃなくて・・・・というので、 色チップから 「こういう感じのところのことを思っておられるんじゃないですか?」 と示した色で試作してもらい ギリギリ最終日に決定!という経緯がありました。 そして、13日からいよいよカタログ発送を!あとは私が添える手紙さえ書き上げれば・・・・ という時に起こった、あの大震災。 カタログはしばらく見合させていただいておりました。 送っていいものなのか、もう少し待つべきなのか、でも年度替りで必要な方もおられるはず。 せっかくの総合カタログ、早くお届けしたいのはやまやまですが、でもこんな時に。。。。 毎日カタログを眺めていて、ふと気がついたんです。 どういう導きか不思議なんですけど 今回の表紙は今まさに芽吹いて、天に向かって伸びていく樹木なのです。 そして、急遽社長の一声で変更になった色は、やさしくあたたかい、クリーム色。 これから!を思い描けるような、細いけれど力強い、生命力のある表紙なのです。 そして、私が書き添える手紙も、実はなかなか書けないでいて苦労していたのですが まさに、あの日の帰り道、新幹線の中で一気に書き上げました。 今思えば、そういう風に何かが誰かが導いてくださったとしか思えません。 最初に決めた色のままだと、やはり送ることをもっともっとためらっていたかもしれません。 今は、これを送ることで、元気を出してもらえるかも、というちょっぴり自信のようなものさえあります。 まずは、西日本の皆さんに、送らせて頂きました。 どうぞカタログと共に、リフィンの想いを、受けとめてやってくださいませ。。。。。。

やれば、出来る!

私の頭がぱつんぱつんだった理由の一つだった謝恩会は、無事最後まで行うことが出来ました。 謝恩会が開けることにみんなで感謝し、また自分たちが何ができるかを考え、実行してみようと取り組んだところ かなりまとまった額をカットすることができ、新聞社を通して日本赤十字社に寄付することができそうです。 学校にお願いし、プロジェクターだのキーボードだのをお借りして、保護者でせっせと運んでセッティング。 スクリーンも、わざわざ借りなくても、白い壁に映せばいいのです。 飲み物も、乾杯の1杯はジュースで。その後はお水にしましょうね、と皆さんに呼びかけました。 単純に、ホテルで飲むジュース。 1杯500円としたら、それを116名が1杯ずつ我慢しただけで¥58000!2杯ずつ我慢したらもうそれだけで10万円を軽く越しちゃいます。 お母さん方の持つ密かな!?技術や、おうちにあるものなども提供してもらって、手作りのプログラムとオリジナルビーズストラップの記念品は自分たちで制作。 写真だけは卒業式での集合写真がないので、先生も保護者も生徒も、全員写りたいね、とちょっと贅沢して写真屋さんに頼みましたが それでも、お~って嬉しくなる額を残すことができました。 お金だけのことではなく、 何が出来るか、とそれぞれが精一杯考えたから、黙祷をささげよう、義援金箱も用意しよう、記念DVDにも震災のことを入れてちゃんと記録に残しておこう、 それぞれが色々な行動に移せたのです。 結果、まとまった金額も出来、やってよかった、という気持ちになれ、みんなにもそう声をかけてもらえたことは 役員として、本当にホッとホッとホッと・・・・・。 長男君の学年で、あんまりお役に立ててなかった分を最後にちょっとお手伝い、のつもりが、かなりちょっとではすまないことになりましたが^^; やらせてもらってよかった!と、心から今は思えることが嬉しい、母でした。

あの日から・・・・

あの大きな地震から二週間が経過しようとしています。 あの日横浜で体験したことを、詳しくは書かないまま二週間が過ぎようとしています。 だって、私には帰ることができる家があり、待ってくれている家族がいた・・・・・ そんな私が、あの日のこと、そしてあれから続くまだまだ続くであろうこれからのこと、軽々しくは書けません。 いろんな現実を見ました。感じました。考えました。 不安も、迷いも、恐怖もある中で 感動も、発見も、感謝もありました。 それら一つ一つを書かせていただくには、やっぱりまだあまりにもの現実が目の前にあり、どこのどなたが目にされるかわからないこの場で やっぱり、書くことはためらわれます。 まずは、今わたしに出来る小さな精一杯を、積み重ねていきたいと思います。 一日も早く皆が安心して眠れる日がくることを、祈り続けたいと思います。

帰国しました

三年ぶりの中国は、一段とバージョンアップ! レストランもホテルもグレードアップ。 トイレなんかも、グッとよくなって、紙の質も断然よくなってます。 あちこちで工事が行われ、これから地下鉄がとおり、新幹線が走り、高速道路は延びる一方。 活気溢れる街の中。 相変わらず交通マナーはいかがなものか、ですが、勢いは止まらない!っていう感じで、みんな必死に生きている!という空気が伝わってきます。 ハード部分がどんどん向上していく中で、次はソフトの部分。 やはり、せっかくの施設も使い方や、取り扱い方は、まだまだ残念な部分が少なくありません。(って私たちが見て、という勝手な見方ですが・・・・) しかし、ここもこれからの教育や市場の変化で、きっといかようにもなることでしょう。 でも、どんな国でも、どんな状況の場面でも、不変の、普遍の光景がありました。 それは、子どもの存在の大きさ。 今回は、三年ぶりに私たちの家族全員と、福建省の総経理の家族全員が揃いました。 言葉がなくても、子どもがいるというだけで、なんともいえない穏やかな空気が広がります。 子どもが笑顔になれば、それだけでみんなが幸せな気持ちになれます。 未来が拓ける気持ちになれます。 おそらく、福建省の皆さんもそんな気持ちになってくださったことと思います。 次回の訪問が、また楽しみになりました!

卒業式

全国のあちこちで卒業式が行われています。 今朝のニュースで被災地の小学校で、体育館は避難した方々がおられるので 急遽家庭科室にて行われた卒業式の様子を見ました。 保護者の方が 「6年もの長い間面倒を見てくださって、 この地震では、子どもたちを全員無事避難させてくださって、本当にありがとうございました。 先生方に救っていただいた命を、私たちは一生懸命、大切に育てていきます。」 と涙ながらにおっしゃってました。 我が家の長男君も、日曜日に卒業を迎えます。 実はわたしの頭がぱつんぱつんの理由の一つに、ホテルの広間を借りて予定していた謝恩会を予定通り開くか開かないか、ということがありました。 謝恩会役員として、どちらもの意見も考えも納得できるものなので、苦しかったのです。 でも、阪神大震災を経験したお母さんが言ってくれたのです。 「私は地震のせいで謝恩会ができなかったことが、今でも心残りなの。出来る状況にあるのなら、絶対した方がいい。 被災した方のために、我慢しようと思ってくれる気持ちはありがたいけれど、そうしてもらっても嬉しくはないと思うの。 みんなで会が開けることを感謝して、何が出来るか、考える会にしたほうがいいんじゃないかしら。」 考え方、受け止め方はいろいろです。 あぁ、こうして書きながらまた頭が重くなってきました。 今日の18時。、間もなくです、参加不参加の意思表示の締め切り時間です。 皆さん、どう返事くださるか・・・・・ がんばれ~、私! さ、明日お墓参りに行って、心鎮めてまいりましょう。 明後日は卒業式。 明々後日は中国の工場へ。 また、つらつらと書かせていただくのは少し後になりそうです。。。。。

ひとつクリア

昨日まで頭がパツンパツンだった要因の一つが、とりあえず一歩前進。 パツンパツンのところへ、少しゆとりが出来ました。 これまた、過ぎてみれば、あれ~そんなに小難しいことじゃなかったのかな?!なんて気もしますが それは一杯いろんなこと考えたり悩んだからこそ、かな、と。 気がつけばもうお彼岸です。 お墓参りにも行かなくちゃ、日曜には長男君の卒業式。 卒業式翌日には中国の工場へ行ってきます。 いやはやこの3月は、姉の突如の入院から始まり、公私共にいろんなことがてんこ盛りで、さすがの私もオーバーヒートしそうですが 生かされているありがたさをかみしめながら できる精一杯を、と思います。

雪がちらつきました

三月も半ばというのに、温暖な気候のこのせとうち沿岸部にも雪がちらつきました。 被災された方々の住むところは、もっと寒かろうともっと辛かろうと、心が痛くなるばかりです。 でも、痛みを感じることは大事ですが、私たちが暗く落ち込んでじっとしてしまっていてはいけませんよね。 こんな時だからこそ、声を大きく、上を向いて、できることは何かを考える! 正解も、間違いもない。良いと信じたことを、すべし!! と、思いつつも、今色々なことで選択を迫られていて、昨日に引き続き、頭がパツンパツンで重い。。。。。。 悩み、苦しんだだけ、やさしくなれる、強くなれる、大きくなれる! そう言い聞かせながら 明日を待ちます。

少々お疲れ

さすがの私も少々お疲れです。 被災された方々のことを思うと、そんなことで凹んではいられないとわかってはいるのですが 頭がパツンパツンで、心が少々苦しい。 久しぶりの弱音トークですねぇ。 ま、そんな時もあります、私だって。 あと、1週間経てば、一つ開放されます。 頑張れ、私!

無事、帰っています

11日金曜日、突如起こった東北地方太平洋沖地震。 被害にあわれた皆様に お見舞い申し上げると共に 犠牲になられた方々と、ご遺族の皆様に対し、心より深くお悔やみを申し上げます。 実は私自身も木曜日からの出張で、横浜駅手前の地下鉄の中で、遭遇した一人になります。 交通網がすべて遮断されたことで、移動の手段がなく、一人で行動していましたので、慣れない土地で不安な思いはしましたが 何とか、翌日土曜日午後福山へ帰ってくることができました。 いまだ、家族の安否すらわからない方々や、食料や寝るところすらままならない方々のことを思うと本当に心が痛みます。 あちらこちらから、ご無事ですか、と連絡や問い合わせをいただいていますので、この場を借りて私は無事です、ということを、まずご報告させてください。 ご心配くださって本当にありがとうございました。 この地震を体験した一人として、私なりに出来ること、すべきことを積み重ねていきたいと思います。 さて、カタログですが、今しばらくお届けは見合わせたいと考えております。 とはいえ、新年度を迎えるに当たってカタログをお急ぎの方もおられるかもしれません。 そういった場合はどうぞお電話かFAXにてご請求ください。

結局のところ

カタログがお届けできるまで、つらつらと書かせていただくと宣言したものの ほんとうに つらつらと、とりとめもなく、それどころか支離滅裂でどこへ終着点を持ってこようかと、余計に悩む有様です^^; 書きながら、色々と自分なりに整理も出来るだろうと思っていたのに かえって、あちこちへ拡がりすぎ、哲学的に!?なりすぎてしまったようです。 リフィンの根底に流れる永遠のテーマ、「儀礼」部分と リフィンが最も大切にしたい「人」と「人」とのつながりの部分と それこそ、『スタンダード』と皆が認識するラインが無くなりつつある今、さまよえる私たちのこれからを考えると 眉間にしわがよるばかり。 でも、もっと単純にといいますか、リミットという会社のすべきことは唯一つなんです。 「働く女性を応援する」 ということ。それに尽きる! ということで、 今回のカタログでは、より多様化する仕事内容や、柔軟性を求められるシーンの中で 今までのお手持ちのお洋服に、「プラス一枚」のご提案をさせていただきました。 今までお持ちの上着を、シーンによって、或いは相手の方の年齢や心情などによって、羽織りかえませんか。 今グレーのスカーフお持ちならば、プラス一枚、さわやかなブルーで四季の変化をつけてみませんか。 白いブラウスを黒いブラウスに変えて、室内の雰囲気と合わせてみませんか。 そういった提案を散りばめた一冊になっています。 服の持つ力は、「人」が身につけてこそ発揮されるのです。 そして、それが発揮された時の女性の働く姿は、本当に美しい。。。。。。 って、急にテンションが変わってしまいましたが、眉間にしわがよりそうなテーマに関しては まさに、今年のテーマとして、明日から新たなスタートを切ります。 明日は新幹線に飛び乗って川越、横浜、東京、と回ってまいります。 新幹線も北へ南へと延びましたので、どこへでも行く予定です。 わたしがなんだかんだ、語らなくても、カタログを開いて、見て、読んで、感じてくださるのはお客様。 お届けはいよいよ来週です。 どうぞ、楽しみにお待ちくださいませ。 さ、私はいざ、出発です!!

人に感謝

迷い、悩むとき、やはり必ず「人」と話すことで、光がさし、扉が開き、道が伸びていくのを感じました。 その「人」とは、時にはお客様であったり、社内の仲間であったり、家族であったり、友人であったりホント色々ですが カタログ造りに関しては、なんといってもチームリフィンのメンバーには、本当にいつも助けられ、励まされ、切磋琢磨しながら一歩ずつ前に進んできました。 次、会う時には何かを持って示せるよう、いくつもネタ!?いえ情報や技を仕込んでくださって、いざスタートを切るときには それぞれのスペシャルな手の内を披露しあう、ドキドキとワクワク。 そして、話を重ねる中で、それらが単純に倍になったり重なり合うだけではなく、化学反応を起こして、誰も予想していなかった何かに化ける。 それはそれは、怖くもあり楽しみでもあり、こういうのを醍醐味、というのでしょうか。 そして、カタログの中で、商品に込めた想いををいかに伝えるかということで、いつも大事にしてきた取材のページ。 ここも、やはり「人」と会い、言葉を行き交わすことで、予想以上の展開があったり発見があったり。 結論へ至るまでの道のりが非常に有意義で、おもしろいんです。 今回の取材ページには、どうしても、今、お越しいただきたかったお2人にご登場願いました。 今、求められている変化の部分と、今だからこそ失ってはいけない儀礼の部分と 正面から向き合い、たくさんの様々な現場を知り、それこそ毎日多くの「人」と接し続ける 葬儀相談員、市川様と小笠原礼法教授、別府様。 私の目の前に、明るい光と、まだまだ続く長い道を拓かせて下さった大切なお2人となりました。

変わらなきゃ

「その時」だけではなく  「その時」へとつづく日々を   「その時」からつづく日々のために・・・・・ とある葬儀社様から、春の会報誌が出来ました、と届けていただきました。 非常に内容が濃く、いつも楽しみに読ませていただいています。 春のお彼岸のこと、般若心経のことなどがわかりやすく、そして読みやすい文字の大きさや色で構成してあります。 私はお寺の子、という環境の中で成人するまでの間を育ちましたが、恥ずかしながらお作法やお経のことなど、よくは知らないのです。 へ~、なるほどねぇ、そうなんだ、なんて読ませてもらう次第です。 相続に関するQ&Aも充実。ここでも、フムフム、なんて頷きながら読み進みます。だんだん自分自身も年を重ねていくと、否が応でも考えてしまう問題です。 もちろん、自社の広告や宣伝、新しいホールの案内もあれば、来月の楽しそうなツアーのご案内に、冬に行われたコンサートのようす、地元の紹介なども。 いかに、お客様に喜んでいただくか いかにお客様と接触できる機会を増やせるか それは、どんな職業であっても、どんな規模の会社であっても、どんな立場の人であっても考え求めることは同じだと思うのです。 そして、その努力を続けた結果として、利益がある。 企業である以上、利益を出さなければ継続は出来ません。 企業側の人間として、一市民として、時には母として、また一人の女性として、様々な立場から物事を見つめたり考えたりできるチャンスがあるということは 非常にありがたいことですが、かえって迷い苦しむこともあります。 『儀礼』の部分を核に置き、いままで提案をし続けてきましたが、昨年からそれだけではない何か、を考えざるを得なくなっていました。 今までと同じではダメだ、という脅迫めいた気持ちさえ湧き上がっていたのです。 でも、大事なものは守らねば でも、変わらなくてはいけない部分もあるはずだ。 そんな迷い、悩むとき、やはり必ず「人」と話すことで、光がさし、扉が開き、道が伸びていくのを感じました。 やはり、人は人と触れ合いながら、コミュニケーションを取る中でしか得られないことが、たくさんあるように思うのです。

一番最初

「母さん、言っとくけどね、一番最初のお布団に入るのって、結構勇気が要るんよ。」 昨夜、末っ子ちゃんに久しぶりに本を読んでやろうと、お布団にもぐりこんで 「あ~きもちいいねぇ。お布団っていいよねぇ。極楽極楽。」という母に向けて発した、彼の言葉。 なんかね、ハッとしたんですよ。 彼があっためてくれたお布団に、あとから入る私は、ほかほかぬくぬく^^ 気持ちいいお布団になるには、最初の冷たいところに身体を滑りいれる勇気?!が必要なのです。 何事も、一番最初は勇気が要るんですよね。 お布団での子どもの会話にたとえるのもおかしな話ですが 二番目は楽なんです。 でも、一番最初だからの迷いや苦しみや不安を乗り越えた時の喜びや、光明がさしたときのうれしさは、やっぱり一番最初の人にしか味わえない。 一番最初が、いつしかスタンダードになり、そして時間とともに自然とそれがホンモノと評価されるようになり、いずれもしかすると 『文化』 になりうるかもしれない。 またまた、たいそうな話しになりかけてきました^^; だからリフィンは、やっぱり一番最初のことをしなければならないのです。 そうでなければ、残れない。 そでなければ、ホンモノになれない。 『本当に大事なこと』を見つめ、見極めるこころを持った人たちと一緒に創り上げた、今年のリフィンカタログは セレモニーの 「その時」 だけではなく 「その時」 へとつづく日々を    「その時」 からつづく日々 を見つめて ご提案をさせていただきたく、新たなスタートをしたのです。

土地柄

その土地土地によって、言葉が異なる方言がありますが、同じ日本国内であっても、色々なモノやコトの違いには、驚かされることが多々あります。 そうなった由来や理由を聞くと、なるほどねぇ、と納得させられたり、感心させられたり。 長野=お蕎麦! な~んて勝手に思い込んでいましたが、長野ではお葬式の時、おうどんを振舞うと聞いてへ~、意外だわ~と思っていると少し移動しただけで、この方ではおそうめんですよ~ え~そうなんですか!? じゃ、その理由や由来を語れる人が、どれだけいらっしゃるのか、となると少し不安な気持ちになってきます。 そうしてきたから、みんなそうだから、そういうことって少なくないですよね。 昨日もテレビ番組で富士山の名前の由来を池上さんが解説して、皆がへ~~って目を丸くする、というシーンがあり テロップに(由来には諸説あります)と注意書きがありました。 どんなことにも諸説理由や原因があるはずで、そしてそれは時代とともに緩やかに姿形を変えながら、今にたどり着いているのでしょう。 きっと今からは、コトによっては急激に姿形を変えるものがたくさんあるに違いない!!と、思うのです。 ただ、なんか漠然とで、しかも何の根拠も無いし、何に対して、というわけじゃないんですけどね、 『本当に大事なこと』 というものは、あまり変わらないような気がします。 大事じゃないわけではないけど、本当はそうたいしたことでもないことは、その時の都合やその時の何かの理由で姿形が変わったり、意味合いが変化したりするんじゃないかと・・・・ どこからが昔、かどうかわかりませんけど、 人は生まれた場所からそんなに移動することなく、生まれたところで育ち、また土に帰って行ってましたよね。 それこそ、明治の時代からなんでしょうか、人は自由に移動できるようになり、今じゃ国内を問わず国外だって宇宙にだっていけちゃうというなかで いろんな思想や、土地土地の風習もそりゃ、入り混じり、いろんなことがミックスされるのは当然です。 ん~~、昨日から私、何が言いたいんでしょうね。 自分でも、書きながら想いがあっちへ飛んだりこっちへ飛んだり。 だから、その土地土地にあるいろんな風習や言い伝えの由来が辿れれば、それは『本当に大事な事』なのか、変えてもいいことなのか、しなくてもいいことなのか、 判断基準にはなるように思うのです。 自分自身、

お寺の子

昨夜のクローズアップ現代 『岐路に立つお寺~問われる宗教の役割』 は見れていないのですが・・・・・ 私は、とある小さなお寺の三女として生まれました。 普通に考えると、とっても罰当たりなことですが、墓地でかくれんぼをし、お賽銭箱で跳び箱の練習をし^^;雨の日には本堂でバドミントンをし、 そこらじゅうの草を薬に見立ててすりつぶしては、門と灯篭付きのよそ様の立派なお墓で病院ごっこをする、という中でおおきくなりました。 でも、その分!?毎月の御詠歌さんの集まりにお茶をせっせと運んだり、檀家さんと一緒に仏具を磨いたり、 おばちゃんたちに、「まぁえらいねぇ」を言って欲しさに、幼い私はかいがいしくお手伝いをしていた記憶があります。 今思えば私が幼かった頃、お客さんのいない日はないくらいに、日中はいつも誰か他人の人がいた気がします。 檀家さんでもないのにしょっちゅう縁側でお茶を飲んでいた「村上のおっちゃん」はいまだに誰だったのかどういう関係だったのか・・・ 奥の間にお客さんが来るときは、ちょっと深刻な雰囲気。 何、何、誰、誰?と聞きたがりの私に、「子どもは関係ありません。」って、注意されてたっけ。 親戚のおばちゃんが、「私ら、子どもの時は石段を上がる人が見えたらすぐに、お湯!ってお湯を沸かしに立たされたもんよ。」 それから月日は流れ、お湯は薪をくべて沸かさなくてもすぐにコンロで沸かせるようになり、賢いポットが次々と登場して、今ではやかんも要らなくなり いつでも瞬時にお茶は出せるようになったというのに、肝心のお客様は どこへやら・・・・・・ 仏具磨く時のあの白い薬のあのにおい、好きだったんですけどね、もう仏具を磨く必要もありません。 特殊な塗装をすればほぼ永久的にキレイ。なんと楽チンになったことでしょう。 でもね、本堂で響く檀家さんたちのあの声は、もう聞こえません。皆でお道具を大事にするという意識は、間違いなく薄れていきますよね。 時は流れ、いろんな規格そのものが変わります。意識も変わります。代も変わります。 正解はありません。今の結果はわかっても、明日の結果はわかりません。 今日の評価は素晴らしくても、1年後の評価は真反対かもしれません。 10年後はまた違ってくるのでしょう。

目標

これからのリフィンに もっと期待したくなるような一冊 カタログ製作に入る前に、製作スタッフの皆さんに宣言した一言です。 お客様に、やっぱりリフィンと付き合ってきてよかった、と思っていただける一冊に 次に何か、というときにはやっぱりリフィンで、と思っていただける一冊に 仕上げること。 その為に、それぞれの専門分野ができること、すべきこと、目指すこと をぶつけ合う日々がスタートしました。 まずは、私自身がお客様を通じて感じたこと、訪問先で見聞きしたこと、お問い合わせで知り得たことを元に だからこれから目を向けなければならないことはここなんだ、ということを、まずはみんなで共通認識を持たなくてはなりません。 なぜなら、今までの共通認識とは違う状況を、ひしひしと感じるようになっていたからです。 去年あたりから明らかに、今までと同じことをしていたのではだめだ、と強く強く感じ始めていたのです。 いそげいそげ、とせかされるような声がどんどん大きくなっていったのです。     つづく・・・・・・

明日から

働く女性に、誇りと輝きを。 リミットは変わらぬその想いを胸に、 創業以来40年 女性のための働く服を作り続けています。 おかげさまで、リフィンでは多くの現場の声に支えられ、励まされ、年々商品そのものもグレードアップさせながら 品揃えも豊富になってきました。 立ち上げ当初は、どうでしょう?どうですか?と、お尋ねすることばかりでしたが、今では反対に、こういうことはいかがですか と、ご提案することも出来るようになってきました。 それは、全国あちこちの皆さんとの出会いの中で、学び得た私なりの蓄積。 たくさんの出会いの中で、お話の中で、私なりに感じたことを毎年のカタログに込めてきました。 今、明らかに葬儀葬祭の流れは、また一つの大きな節目に来ているように感じています。 ますます、時代の流れに柔軟でなければならないと同時に、人と人との普段のおつき合いの中でのつながりが、 どれだけ大事に出来るのか・・・・・・ 自分自身がどれだけゆたかで魅力的な人物になれるのか・・・・・・ そういう、根の深い 終わりのない永遠のテーマを掲げて進んでいけるのか・・・・ 明日から、まさにつら・つら・と 新しいカタログに込めた想い、そこへ行き着いたいきさつ、これからの決意、いろんなことを書かせていただきたいと 思っている次第です。 カタログがお届けできる日まで、お付き合いいただければ幸いです。。。。