譲り合いと歩み寄り

手に入れたものは同じでも

譲り合って手に入れたものと、歩み寄って手に入れたものと、どこか何か違うような気がします。

ど~ぞど~ぞ、いえいえ、結構ですから遠慮なく、いやいや、うちはいいですからおたくがいいようにしてください、ホント、もう、ねぇ

ってお互いがいい合ってる 、っていうような光景と

申し訳ないけどここはどうしても譲れないんですけどね、でもこっちは何とかやってみたら、どうにかなるかもしれないなぁ、ねぇどうでしょう、

って、お互いがいい合っている光景と

日本人特有の謙遜の美学もなんとなく入りつつ、でも違うでしょ。

ここは譲ったんだからさ、ここはそっちが譲ってよね、というような暗黙の牽制球の投げあいより

双方が歩み寄る努力のほうが大事なことのほうが、多々あるように最近思うのです。

商売でも政治でも、日常でも。

昨日も、そんなことをすごく考えながら、体感しながら、あぁ、間違えちゃいけないな、と。

楽なほう、安易な方、そしてその瞬間相手が喜んでくれることよりも

難しくて、手間がかかってでも、長い目で見て、最終結果として喜んでいただけなくては、だめなのだと。

手間の部分を誰がとるのか、どこが取るのか、その時それぞれが胸算用したりするわけですけど敢えてそこを取った人が、結局のところどれだけ得るものが大きいことか!!

損と思うか得と思うか、受け止め方次第ですもんね。

お互いが歩み寄る術を知っていれば、ハッピーなことがもっともっと起こるんだけどな、と思ったりするわけです。

さ~て、どうすれば期待に応えられるか、お互いが歩み寄って 喜びを分かち合えるか、トライ、トライ、トライ!です。




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