3月11日

10年前の3月11日も昼間はポカポカ陽気で、私は川崎の新しいホールのお披露目にお邪魔し、長津田で派遣業の社長さんと面会し

夕方、青山での打ち合わせに向かう途中、ちょっと時間の余裕があったのでその頃思い描いていた会の会場の下見にいってみよう、と思い立って

横浜へと向かう地下を走る電車の中であの不気味な長い揺れを感じました。

今思えば、びっくりする程みんなとても冷静で、誰か立ち上がることすらもなく、顔を見合わせる程度で、再度電車が動き出すのをとても静かに待っていました。

今思えば、それは何の情報も映像も知らなかったからだと思います。電車が動きさえすれば、またいつもの続きが待っていると誰もが思っていたんです。

ところが、地上に上がってロープが張られた駅の状況に驚き、構内で繰り返される、「津波が来ます」という放送に驚き、

駅を出ると、あちこちで聞こえるサイレンと彷徨う大勢の人に驚き、日暮れと共に肌寒くなり

次第に、各地の状況の映像が流れ始めると同時に、移動の術のない人たちがあちこちに溢れ、コンビニからどんどん物が無くなっていき、 見たことのない景色が広がる一方でした。

あれから10年。今コロナという、目に見えないうえに変異を続けるウィルスと共にいて、みんな疲れ切っています。

でもね、比較するのもどうかとは思いますが、明かりの灯る家があり、飲む水があり、暖かいお風呂も、暖かい食べ物もあって、なんと幸せでありがたいことでしょう。

それは、実はとても有り難いことである、ってことをどうしてすぐに人は忘れちゃうんでしょうね。

今日は年に一度、10年前に深夜前に地下鉄が動くまで、ずっと一緒に並んで過ごした彼女と、この3月11日にお互いの近況報告をし合う日です。

きっと、20年後も30年後も、ずっと続くんだと思っています。きっと彼女もそう思ってくれているんじゃないかなぁ。

当たり前は当たり前ではなく、日常は実はとってもスペシャルで、今日という日は今日しかないことを、

時々こうやって、思い出しましょうね。



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