8月6日

8月6日 8時15分。

いつもならまだ家にいる時間で、毎年大抵は家で黙祷をして出かけるのですが、今日は月曜日の朝会議のため早目の出勤。

眩しすぎる太陽と蝉の声を浴びながら、73年前もこんな暑い夏の朝だったんだろうなぁ、なんて自転車を走らせていました。

暑いから影側を走ろう、次の信号が変わりそうだから今渡っておこう、そんなことを無意識に考えながら、

ふと、その何でもないような判断が、あの73年前の8月6日は生死を分ける大きな分かれ道になった人がどれだけいらっしゃったことかと・・・・・

青い青い空の元、今この瞬間が永遠ではないことをどれだけの人が自覚できているでしょうか。

残念ながら、記憶というものは薄れてゆきます。被爆者の方の高齢化を止めることはできません。

横浜に行った娘が、子どもは勿論、大人もあまりにも8月6日のことを知らないことに愕然としていました。

自分が思っている以上に、悪意なく、ただ「知らない」ということがどれだけ沢山あることでしょう。

「知る」ためにはやはり受け身ではなく、何かしらのアクションを起こさなくてはいけないわけですが、

子ども達にそのアクションを起こさせるためのきっかけを創り出すのは、大人の役目です。

今海外にいる長男君に送りました「こちらは間もなく8時15分になります」


「黙祷します」と間もなく返信。

大きなうねりは小さなアクションから。些細なことであっても何かをすれば、何かが変わります。









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