届かなかった年賀状

今年、二通の届かなかった年賀状がありました。

どちらも明治生まれの方です。おそらくお亡くなりになられたのか、施設に入られたのか、いずれにせよ住居を処分か何かされたために

宛所に尋ねがありません、と戻ってきたと思われます。

その方のご家族にとってみれば、年賀状を見ただけでは私とその方の繋がりの程は解らないことの方が多いことでしょう。

ある時は、娘さんがお父様の近況を印刷されたもので返信をくださったことがあり、なるほど、今そういう状況になられたんだ、と解ったこともあります。

でもなかなかそこまでの事が出来ないほうが多いのでしょうね。アドレスも書いてあったのでつい嬉しくなってメールをしてしまいましたが

そこから返信はありませんでした。そりゃそうです。娘さんも会ったこともない、しかも遠く離れたところに住むお父さんの繋がりの部分を全て自分が引き受けるわけにはいきません。

私も父にきた年賀状の相手の方の顔が解るのはごく一部です。そしてその方たちにきちんとお知らせをしたかというと、何もしていないのが現状です。

父には父の顔があり、父になるまでの顔もあり、父として以外の顔もあり、歴史があり、色々な方と関わりあって生きてきたはずで

私の知らない父が沢山いたんだと、改めて想うことが多々あります。

この度戻ってきた年賀状のお二人も、敬愛してやまないお二人ではありながら、年賀状だけになってしまっていたのも事実で

会いに行こうと思えばできなくはなかったのに、会いに行かなかったことも事実で・・・・・

また今度、いつかどこかで、なんて思っていることが沢山。

届かなかった年賀状を見ながら、今年は届いた何名かの顔を思い浮かべ、絶対会いに行かなくちゃ、と思うのでした。





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