記憶に残る



 
帰省中の娘が、母校へ先生に会いに行ってきました。

学生の頃は話したことがなかった先生と話をしたり、中学時代に担当してもらった先生が、教頭先生になって戻って来られていたり色々な先生方と会えて、おしゃべりが出来て

「先生も知らない後輩もみんな名前も覚えててくれてすごく話しかけてくれて、なんかみんな、すごくいい人~。なんか感激~。」

と、前向き思考の感激屋さんは、どんなに楽しかったか、どんなに人気者状態だったかを事細かに語ってくれるのですが

先生方も、やっぱりこうやって会いに来てくれることがどんなに嬉しいかということも、よく解るので

双方にとってとてもいい時間だったのだろうなぁと、羨ましくもありました。

人の記憶に残れる人で在れる、ということは本当にすごいことだと思うのです。そういう人で在りたいと、中学生のころから思っていました。

題名も忘れましたけど、ある海外短編を読んだ時に、あぁ、人の記憶から消えた時に、完全に私という人がいなくなるんだ、と しみじみとそう思ったからです。

父のところに、なにかにつけて訪ねてきてくれたり、必ず近況と共に年賀状を毎年書いて出さる人の多さに、憧れと尊敬を抱いていたからです。

誰かの記憶に残れる、ということはこちらが押し付けて何とかできることではないし、真心こめて一生懸命何かをしたら、必ずしもいい記憶として残るわけでもないし

やっぱりそこにはある意味、無償の愛ではないけれど、奉仕の心というか、求めない何かがあってこそなのかなぁ、と。

あわよくば~とか、思っちゃうことってありますけどね^^;

直接会ったことは無くても、例えば素晴らしい発明をしたとか、作品を残したとか、それこそ演劇や音楽や絵画やお笑いも然り、どんなカタチであれ、人の記憶に残ることで、その人は生き続けられると思うと

記憶に残れる人になるというのは、やっぱりすごいことだよな、と思うのです。

さてさて私は、10年、20年後、そして50年後、誰かの記憶に残れているでしょうか。





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