8月6日

 
 
8月6日、午前8時15分。

広島県人に刻み込まれたこの数字。ですが、日本全国では必ずしも皆の心に刻み込まれているわけではないようですね。

横浜で暮らし始めた娘が、何に一番驚いたって、原爆のことをあまりにみんなが知らないことだったそうです。

小学四年生の野外活動に引率のお手伝いに行った時に、広島という地名も原爆という言葉も知らない子が圧倒的で、6年生の修学旅行の引率の時に

6年になればさすがにと思いきや、やっぱり知らない子が圧倒的だったようでショックを受けていました。

長男君曰く、お隣の岡山であってももうやっぱりちょっとよそのことモードで、8月6日という日にちは勿論、黙祷をするという行為自体もへ~そんなことするんだ、

といった具合なのだそうです。

かといって、でも私たち広島県人であっても、原爆についてどこまで説明できてどこまで正しい知識を持っているかというと、怪しいものがあります。

でも、少なくとも8月6日のこの日この時は、やっぱり忘れない。

テレビ中継を見ながら、家に居た親子3人黙とうをしました。おそらく離れた横浜の地でも娘は黙とうをしていたはずです。

朝練中の長男君も、きっとおおよそのその時間に、一瞬だとは思いますが目をつむっていたはずです。

たとえ1分でなくてもいい、一瞬であっても思いだし、目をつむる、心で手を合わせる、それが出来る子どもたちを意識的に増やしていかないと、本当にどんどん風化してしまいます。

知らないのは子どもたちのせいではありません。語り継ぐのは大人の義務なのです。










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