モノづくり

大きなものから小さなものまで、いろいろなモノ作りの工場がどんどん海外へと流れていくスピードは加速を続けるばかりです。

私たちはお洋服を作ることは出来るけれど、生地を作ることは出来ません。生地を染めることも出来ません。

生地を作るのに、糸がなくなりました。生地を染めるのに、染料が変わりました。生地を織る工場が廃業されました。生地を染める工場が統合となります。ここ数年そんな話ばかりです。

その都度、その代わりになるものがあるのか、工場があるのか手立てはないのか、右往左往しながら最善の手を尽くすわけですけれど、やはりそれぞれに特徴と技術とを持っておられるわけですから

まったくそっくりそのまま同じものが、出来そうでいて、やっぱり出来ないものなのです。

今回も何十年もずっと継続してきた生地が、染工場が変わるのです。ちゃんと別の工場で継続できるよう手配をして下さって、確認の試作も何度もしてみてはいるのですが、やっぱりどこか違うのです。

よくよく聞くと、使う染料も、使う糸も、行程も一緒。でも工場が違うので、導入している機械が違う。そうすると、例えば最終同じ180℃になるにも、一直線に180℃に上がるのか、カーブしながら緩やかに上がるのか、

それだけでも、微妙な差は出る。

例えば機械によっては180℃まであげることは出来ず、170℃が限界だとしたら、たとえ製品的には問題ないものが上がったとしても、180℃でセットしていた今までのものと比較すると、どうしても差は出る。
 
そりゃ、そうだよな、と話を聞けば納得できるけど、でも お客様にどう説明するのか、納得いただくのか。。。。。。

今していることは国内でのことなので、まだこうしてタイムリーにモノを見て相談も具体的に出来ますが、海外だとしたら、時間も品質も内容もその差はいうまでもありません。

思うんですけど、人って本当に変化を恐れますよね。変化というか、「前と違う」 ということにとても敏感に反応してしまって、例え前よりよくなっていたとしても、「前と違う」ということそのものがなんだかイヤなのでしょうね。

長く使っているものだったら余計に、そう感じるのは、これもまたとてももっともなことと理解できるんです。でも、提供する側の立場になると。。。。。。

日本のモノづくり、一体どこまで流れ出ていくのでしょうか。小さなため息ばかりがあちこちに充満しているようです。大きな声にどうやったらなるのでしょうか。



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