土地柄

その土地土地によって、言葉が異なる方言がありますが、同じ日本国内であっても、色々なモノやコトの違いには、驚かされることが多々あります。

そうなった由来や理由を聞くと、なるほどねぇ、と納得させられたり、感心させられたり。
長野=お蕎麦!
な~んて勝手に思い込んでいましたが、長野ではお葬式の時、おうどんを振舞うと聞いてへ~、意外だわ~と思っていると少し移動しただけで、この方ではおそうめんですよ~
え~そうなんですか!?
じゃ、その理由や由来を語れる人が、どれだけいらっしゃるのか、となると少し不安な気持ちになってきます。
そうしてきたから、みんなそうだから、そういうことって少なくないですよね。
昨日もテレビ番組で富士山の名前の由来を池上さんが解説して、皆がへ~~って目を丸くする、というシーンがあり
テロップに(由来には諸説あります)と注意書きがありました。
どんなことにも諸説理由や原因があるはずで、そしてそれは時代とともに緩やかに姿形を変えながら、今にたどり着いているのでしょう。
きっと今からは、コトによっては急激に姿形を変えるものがたくさんあるに違いない!!と、思うのです。
ただ、なんか漠然とで、しかも何の根拠も無いし、何に対して、というわけじゃないんですけどね、
『本当に大事なこと』
というものは、あまり変わらないような気がします。
大事じゃないわけではないけど、本当はそうたいしたことでもないことは、その時の都合やその時の何かの理由で姿形が変わったり、意味合いが変化したりするんじゃないかと・・・・
どこからが昔、かどうかわかりませんけど、
人は生まれた場所からそんなに移動することなく、生まれたところで育ち、また土に帰って行ってましたよね。
それこそ、明治の時代からなんでしょうか、人は自由に移動できるようになり、今じゃ国内を問わず国外だって宇宙にだっていけちゃうというなかで
いろんな思想や、土地土地の風習もそりゃ、入り混じり、いろんなことがミックスされるのは当然です。
ん~~、昨日から私、何が言いたいんでしょうね。
自分でも、書きながら想いがあっちへ飛んだりこっちへ飛んだり。
だから、その土地土地にあるいろんな風習や言い伝えの由来が辿れれば、それは『本当に大事な事』なのか、変えてもいいことなのか、しなくてもいいことなのか、
判断基準にはなるように思うのです。
自分自身、言い伝え、は大事にしたい派で、どちらかと変革派ではなく保守的な人間なんですけど、
いろんな情報が溢れすぎる今だからこそ
『本当に大事なこと』だけ、シンプルに考えないと、自縄自縛で苦しんで、結局全部え~~い、やめちゃえ!
になっている様な・・・・・
あぁ、ますます支離滅裂ですね^^;
カタログお届けの日まで、私、ちゃんと書き続けられるかしら・・・・・と不安になるチーフでした。

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