分かち合う

週末、友人のお兄さんのお葬式がありました。

亡くなられたのは、地元では超がつくほど有名な産婦人科のお医者様。
45歳の若さでした。
その方の妹さんと私は幼い頃からの友人で、親同士も古くからの友人でした。
妹さんである私の友人は、私の姉が癌で入院していた時、その病院の薬剤師をしていましたので、何かと気に掛けてくれていました。
亡くなった際も、すぐに駆けつけてくれました。
お兄さんの訃報を聞いたとき、何もしてあげられないけれど、どうしても会うだけあって、せめて背中をさすってあげられたらと思い、電車に飛び乗っておりました。
彼女の第一声は、
「ごめんね、あの時の気持ちわかってあげられなくて・・・・・」
私は「そんなことないよ、いいんだよ、いいんだよ」
と背中をさすってあげることしか出来ませんでした。
しばらく二人で涙を流していましたが、言葉はなくても気持ちが寄り添っているのをひしひしと感じていました。
相手の気持ちを察したり、考えたり推し量ったりすることはできますが、やはり同じ体験をしたもの同士でしか分かち合えない何かは、あると思います。
同じ体験をしたもの同士だからこそ分かち合える、と言った方が正しいでしょうか。
展示会で、
「うちでは身内を亡くした経験のある子を採用しています。その子たちのご遺族に接する時の言葉や態度はやはり、まったく違いますから。自然と丁寧に親身になって接しています。」
と話されていた葬儀社の女性の方がいらっしゃいました。
もちろん、身近な人の死を体験しなければ出来得ないとは思いませんが。
しばらく涙を流した後、色々な話や気持ちを語ってくれた彼女。その時信じられない話を耳にしました。
その話はまた明日書かせてください。

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