フューネラルビジネスフェア

リフィンの立ち上げとなるそれ以前から出展していた、年に一度のフューネラルビジネスフェア。

通販ですから、二日間の間に色々なお客様と対面も叶いヒアリングもでき商品も見ていただけるというチャンスの場でもある展示会。

毎年何の疑いも無く、「出ること」として出展をし続けていました。

私がまだ、な~んにも知らない12年前は、「とりあえずリフィンを着て立っていればいいから」、みたいな状況でした^^;

それでも、当時夜会巻きにしてロングプリーツを着てスタンドカラーのジャケットのスタイルはなかなかのインパクトだったようで

その頃は今の展示会のようにわんさか人が来るほどでもなく、来られたお客様と一生懸命話をするが、カタログはまだできていないという有様でしたっけ。

それから少しずつアイテムが増え、展示商品も幅広くなり、会場は低い天井のごく普通のビルの会場から横浜パシフィコへ。

一気に展示のスタイルがより装飾的になり、来場者も増え、それこそお線香の香りが漂っていた会場から、コンパニオンのおねぇさんたちがあっちにこっちにと立っていらっしゃるような雰囲気に。

リフィンもカウンターを作ってみたり、高い照明看板を立ててみたり、カーペットを敷き詰めてみたり。

年々もっと、もっとと頑張ってしまっておりました。そしてふと、このままでいいのかしら??と。

一年お休みして、展示者の立場ではなく来場者の目線から二日間をじっくり過ごしてみようと。

そんな頃東日本大震災。またまたどうすべきなのかしら??と。

その翌年、出展はせず、第一回目のリフィンメッセを独自で行ったのです。

その頃、リミットグループ全ブランドの企画を任されるようになりました。正直アッチもコッチも必死で展示会に時間と経費と構想とに費やすことが難しかったこともあります。

展示会に出展しなくなって6年。では売り上げはそれによって落ちたか、というとおかげさまで!?落ちませんでした。

でも、出ていたらもっと伸びていた!?かもしれません。費用対効果を会社は求めますが、その効果のほどは数字だけでは表せない部分も沢山です。真の正解は判りません。

次第にようやく全ブランドの流れも出来てきて、私は代表取締役になりました。

そしてリフィンは11年目のスタートを切りました。まだどこか迷いや不安があった中で、第二回目のリフィンメッセを開き、はっきり分かったことがあったのです。

なんだかとっても長くなってきたので、続きはまた週明けに・・・・・




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