愛情表現

お彼岸に実家のお墓参りに行けなかったので、奈良にいる姉と先週末一緒にお墓参りに行ってきました。

実家では幼稚園をしているのですが、母の写真は園児たちがよく見える、幼稚園のお遊戯室に飾ってあります。

久し振りにお遊戯室に行ってみると、なんだか母の写真に違和感が。

母が亡くなった27年前には、今のような色々な画像処理の技術は発達しておらず、突然の死でもあったため遺影となった写真は卒園式の袴姿の画像をそのまま使ったもの。

サイズも額縁に合っていません。

どうやら少しずつ少しずつ下にずれていっていたみたいなんです。

直してあげようと、それこそ27年ぶりに外して開けてみると新聞紙が。

湿気取りの代わりか、高さ調節か、最初はあまり気にも留めず高さと位置だけ揃えてまた閉じようと思った時に

いつの新聞かしらと広げてみたら・・・・・・

母が亡くなったその日の新聞でした。父がきっとこの写真をセットする時に忍ばせていたのだと思います。

そういう愛情表現の仕方しかできなかった昭和一桁のあの時代の男性たち。

父が亡くなった時、飾っていた母の写真を開けた時もその下には新婚旅行の時の写真がはさんであったんです。

そんな愛情表現しか、ではなくてそういう愛情表現だからこその深さというか、静かさというか・・・・

涙が止まりませんでした。

どうして人はいろんなものを失くしてから、いろんなことに気が付くのでしょうね。でもだからこそ、次へ繋げよう残そうと頑張れるのかもしれませんね。

母の好きな木蓮が、幼稚園の庭できれいに咲いていた四月の土曜日の出来事でした。



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