語ること

以前にも少し触れましたが、「語り継ぐ」ということを葬儀社様にもお手伝いいただけないかということ。

すでに、「命の伝達式」という素晴らしい儀式を実行し、それが広がっていっている事を耳にしています。
残念ながら、体感したことはありませんが・・・
是非、語り継ぐという部分を、宗教者の方にもお願いしたいと感じました。
今回お寺様からの説法はありませんでした。
お悔やみの言葉などはありましたし、そのときは何も思わなかったのですが、今思えばアレ?ですよね。
今頃はお話をされる方も少なくなってきているのでしょうか。
塔婆や位牌の字も、印刷できちゃう時代ですものね。
失礼な話ですが、やはり歩いていらっしゃるお姿だけでこの方なら!と感じる人と?と感じてしまう人といらっしゃいますよね。
故人のためにお経を上げることと同時に、残されたものへの何か道しるべを示してくださることができるのが、やはりお寺様ではないでしょうか。
昨年知り合いのお寺の奥さんから、お稚児さんで配った本なのよ、よかったらどうぞ、と一冊の本を頂きました。
沖縄を舞台にした、『いのちのまつり』という題名です。
沖縄の言葉で「ヌチヌグスージ」というそうです。
分かりやすくて、優しい、心のあったまる絵本です。
ご遺族の子どもさんに贈られたら、きっと大切にしてくださるように思います。
命のことって、普段は実感を持ってなかなか語りにくいけれど、こういう機会にやはり命について、自分が今ここにいるってことが、どんなにすごいことなのか考えることは、とてもとても大切なことだと思います。
そして自分がかけがえの無い存在であることを親子で確認しあえる、やはりこれも故人からの贈り物かもしれませんね。
それから葬儀社の方へ、
哀しみの場に、話し声は禁物のような気もしますが、そうではなくて言葉が見つからないだけのような気がします。
ですから、黙ってもくもくと作業をする、となりがちなところを、「よろしければ、傍においでください」、と声をかけていただいて、作法の由来や道具の意味などを語っていただけたらどうでしょうか。
ドライアイスが重たそうで辛かった、と以前書きましたが、心優しい葬儀社の女性の方が、
『そうですよね、私たちも心の中でごめんなさいね、とお詫びしながらはしているのですけれど・・・気休めでしかないですよね。
どうしても冷気は下にいくので、お身体の上でないと効果がないのです。でもドライアイス以外の方法が今はできているようなので、早速導入の検討をしてみます』
とメールをくださいました。
理由を聞けばなるほど、と納得できるわけですから、ドライアイスを置く際に申し訳ございませんが、こういう理由で胸の部分に置かせていただきますのでお許しくださいね、とお話いただければ、お互いが少しは気持ちが楽になると思います。
心の中の「これってどうなんだろう」、をお互いが出し合えると随分違ってくるでしょうね。

コメント

このブログの人気の投稿

帰省

退職のお知らせ

卒業