斎場にて

またまた、いざ!というときに動ける人が必要になりました。

通夜の時に必要かと、お菓子だのおつまみだの買ってはいましたが、斎場に持っていくお菓子を用意していなかったのです。
昨夜の残りも後わずか。
斎場に行く途中コンビニがあるのは知っていましたが、寄っている暇はないし。
今から思えば、こういうときでもいろんな時にも、葬儀社の方になんでもどんどん聞けばよかったのでしょうね。
葬儀社の方もなかなか何に困っているのか、何を必要としているのか、わからないですよね。
結局お別れの言葉を送ってくださった方の奥様が、買いに行ってくださいましたので、なんとかなりました。
福山の斎場は数も多くて、あの煙がおばあちゃんのかな、なんて空を見上げるどころではありませんでした。
控え室では普段なかなか会うことのない親戚の方と、何かお話を、と主人は一人っ子ですから唯一の嫁としては、それなりに気を遣ってはいたのですが、こういうときの話題もなかなか難しいですね。
予定よりも早めに放送があり、お骨をみんなで拾いました。
せっかくお義母さんの好きそうな、洒落た骨壷を選んでいたのに、桐の箱に入っているから何にも違いが見えず、ちょっと残念。
でもお義母さんは、ちゃんと分かってくださっているんですよね。
子どもたちは、どんな思いで拾ったのでしょうか。
長女は4回目のお骨拾いになります。
幼い子には見せたくないと思われる方もいるでしょうね。
何が正しいか、決まりはないと思いますが私はこうして繋がっていく命を語り継いでいくうえで、貴重な体験であり、お墓参りに行ったときに、ここにいてくれているんだなって、より一層合わせる手に力がこもるような気がします。

コメント

  1. 子どもの時の始めての死の経験は、祖母でした。
    私は、お祖母ちゃんの死は理解できませんでしたが、大好きな叔母や母達が悲しんでいることが哀しかったのです。
    そして、祖母の家に行くと必ず熱を出して寝込んでしまい、祖母が私のために買ってきてくれた飴が気に入らず、我がままで交換してもらってきたことを52年も経った今でも悪い子だったなぁ~と・・・・私の母が亡くなった日に、男前の長男?がお気に入りだった母のために、長男はお葬式当日、髪の手入れとスーツにめかしこみいつもより、念入りだったこと・・・・人それぞれ大人になったら、その日のことも懐かしくなりました。

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  2. 随分とむか~しのことなのに、はっきりと残っている記憶ってありますよね。
    私も祖母が亡くなったときに母が泣いている姿を初めて見て、そのことが一番ショックというかどうしよう!!と動揺してしまったことをはっきりと覚えています。
    時間というものは、ほんとにすごいチカラをもっていますね。
    あんなに悲しかったことも、辛かったことも、悔しかったことも、時間は全て、とてもゆっくりとではありますが、懐かしさに変えてくれるんですよね。

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  3. 葬儀は人を集め、人を走らせる・・師がよくお話をなさいます。せめて、悲しみの深いご遺族だけはゆるやかな時を過ごしていただきたいものだと、いつも感じています。葬祭場での拾骨のお世話をしていた際に、興味本位で目を輝かせるように遺骨の周りに集まった子ども達の姿に、背筋が寒くなった覚えがあります。子ども達を、ゲーム感覚でしか死を捉えられない人間に育ててしまったのは、誰でもない大人の責任です。命終をしっかり教えることも親の大きな役割ですね。チーフさんのお子さん方、きっとお婆ちゃまから授かり受けついだ命を大切に生きていこうと胸に誓われたはずです。
    『人は二度死ぬ』そうです。一度目は命絶えた時、そして二度目は生きる人々の記憶から消えた時。どうぞご家族で、お義母様の思い出をいつまでも語りつづけていただきたいと願っています。
    『心に残るお葬式』、楽しみにしています。

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  4. 『二度死ぬ』んですか・・・
    二度目は本当に辛いですね。でもそうやって人は生まれ、死を迎え、また次へと繋がっていくんですよね。
    しっかりと語り継いでいけば二度目はずっとずっと先になるってことですよね。
    だから私はやっぱりお墓は必要な気がするのです。
    もちろん心で繋がることは大事ですし、どこにいてもその人のことを感じることは可能です。
    でも時間を割いて、長い階段をふうふういいながら上って、お墓の前まで行って、手を合わせる。
    ここに自分のご先祖様が眠っているのだなぁ、と感じるそのひと時はやっぱりかけがえのない時間のような気がします。

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