お寺参り

その後そのままお寺に向かい、お経を上げていただきました。

子どもたちもすっかり、おんころころだの、はんどまじんばらだの、不思議な呪文のような響きのとりこになって、一緒に唱えています。
教本を配っていただいて、字でみてみると、なるほど、となんとなくわかりそうな言葉や、そういう意味なのね、という漢字があって、長いお経もあっという間に感じられますね。
ホールに戻ると、葬儀社の方が入り口で温かいおしぼりと清めの塩を用意して待っていてくださいました。
長かった二日間もあと少し。
精進落としのお料理をみんなで頂いて、主人が挨拶をし、皆様を送りました。
さてその後は、自宅に帰って、祭壇を飾っていただかなくてはいけません。
祭壇が飾れるように部屋をまず片付けなくては!
狭いマンションに介護用のベッドだの簡易トイレだの、あのままでは困ったぞ!とかなり焦ってしまいました。
御霊供膳を用意してくださいね。といわれたものの、恥ずかしながら、御霊供膳が家にあるのかどうかすらも知りません。
御霊供膳を作ったことは私自身はありますが、お嫁に来てからはしたことがありません。
葬儀社さんにも用意はしていないということでしたので、たちまちは家にあるもので代用させてもらいました。
私は本家と呼ばれる家で育ちましたから、お仏壇もあれば法事も何度も経験していますし、諸々の親戚づきあいも少しは分かります。
けれども、核家族化が進む今現在、お仏壇もなければ、お線香すらあげる機会のないという人は、かなりの数ではないでしょうか。
御霊供と聞いて、すぐに分かる30代の人が何人いるでしょうか。
今回、色々な体験を通して、葬儀社さまに求められるものは、これからはもっと広がることを実感しました。
葬儀そのものだけでなく、その前後も含めてより広い知識と細やかなフォロー。
例えば、御霊供膳がないおうちであれば、その日たちまちは貸し出してあげても良いでしょうし、どうしても必要なものですから葬儀社さんから買うこともあってもよいのではないでしょうか。
今日のところは、炊き立てのご飯とお茶をお供えしてあげられてはいかがですか、という提案だけでもしてもらえれば、それだけでも、気持ちがずいぶん落ち着きます。
お寺様にお布施を渡す時もそうでした。
うっかりお盆も袱紗も忘れてきてしまいましたので、葬儀社の方に借りて恥をかかずにすみましたが
葬儀社の方のほうから、家に一度帰るとき、いろいろ必要であろうもののリストを頂いていれば、助かったでしょうし、お使いくださいと、あらかじめ渡して頂いていれば、とても感謝したと思います。
やはりその時は、皆冷静ではないですから気がつかないことや、うっかりすることだらけです。
そんな葬儀に対して、葬儀社様に対して、お寺様に対していろんなことを感じましたことを、もうすこしつら・つら・と書かせてくださいませ。

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