感じたことを

そうこうしているまにも、時は流れ、そろそろ四十九日の法要の準備に取り掛からなくてはいけません。

こうして、いろんなことを順に思い返しながら文章にしていくと、本当にまたまたいろんなことを考えてしまいます。
そして、自分も含めてみんな、経験を通しての知識が少なくなっていることを改めて感じました。
情報は溢れているのに、変ですね。
結局のところ、知らない、判らない、教えて欲しい、ということをもっともっとお互いが出していかなければならないのでは、と感じました。
どうしたらいいのでしょう、と葬儀社の方、お寺様にもっと投げかければよかったのだと反省しています。
例えば、いったん家に帰るときもあれとこれと、と一人考えるのではなく、葬儀社の方に一度帰るのですが必要なものがありますか、聞けばすんだことだったのですよね。
料理を決めるにしても、葬儀社の方からこれがいいですよ、とはすぐに言えませんよね。
人数や、予算や好みがありますもの。
こちらが10人ぐらいで男性が多いのですが、と言えばではこのくらいは必要かと思いますよ、と提案できますよね。
日本酒がお好きな方が多いのです、と伝えておけばそういうふうに準備してくださいますよね。
顔のゆがみを防ぐためでしょうか、白いリボンのようなものを顎から頭にしてあったのですが、ずれていて格好があまりよくなかったのです。勝手にとってはいけないよなぁ、とそのままにしていたのですが、それら細かい一つ一つもどんどん聞いていけばよかったのですよね。
きっと、お互いどちらもが、どこまで立ち入っていいのか遠慮しあっているうちに、どんどんことが進んでいって、あとからああすれば、こうしておけば、がどうしても増えてしまっているように思います。
しかも式が終わったらもうそれっきり、ということがほとんどですから、フィードバックの難しいお仕事ですよね。
でもどうしても遺族側は、通常の精神状態ではないわけですし、やはりプロである葬儀社の方に上手にリードして頂いて、こちらが質問したり、尋ねやすい会話の持っていき方、といいますか上手く誘導していただけたらと思います。
後、細かいことですが葬儀社の方に是非・・・・
お茶はできればよいものを。
第一印象が断然違うと思います。
この度は、お風呂や洗面台、クリーニングされたシーツや浴衣など用意してくださっていたのでとても助かりましたが、流しの排水溝が、詰まっていたのが残念でした。
流しはきれいだったのですが、排水溝の受け皿が目詰まりしていたのです。そういうところも必ず女性は見ますので。
それからスポンジが黒かったのも、かなりマイナスイメージ。
ごみ袋もあれば助かったかなと思います。
後、ハンガーも寄せ集めたように形も大きさもばらばらだったので揃っていたら、気持ちが良かったかな、と思います。
すみません、重箱の隅をつつくようで。
それから、コップや湯飲みはあったのですが、お菓子やおつまみを広げる大皿のようなものがあれば、袋を広げてそこからとるという、かっこ悪いことをしなくてすんだかな、と思いました。
それらも、お皿を貸してください、と言えばよかったのですよね。
でも、案外こちらから度々あれこれ呼び出して聞くのはしにくいものだ、ということを知っておいて頂けたら・・・と思います。
それから後日写真を持ってきてくださったのですが、肝心のお別れの言葉を述べてくださっている所や、子どもたちの手紙の朗読のシーンが一枚もなく、とても残念でした。
正直、お葬式の時の写真なんて、あまり見たいものではありませんが、やはりこれらも時が経てば開いてみようかな、と思うときが来るもの。
全員が写っている写真もなく、心残りです。
主人と精進落としの後、みんなで撮ればよかったねと反省しています。
これらも撮ってくださいといえばよかったのでしょうけれど、でもやはり葬儀社様のほうから、撮られてはいかがですか、と提案があっても良かったのではと思います。
お願いしたいことがまだあるのですが、長くなりますのでまた明日に・・・

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