お蔭様で

なかなかゆっくりとは寝られないものの、熱は思ったよりはやく下がり、明日の大事な打ち合わせには参加できそうです。

ありがたい事に?!我家と会社とは全てシステムが繋がっていて、家でも今現在の会社の情報がいつでも見られるし、こちらも送ることが出来ます。
ですからこうやって、会社を休んでいても、子どものことで家にいなくてはいけなくても、大抵のことは自宅でも可能なのです。
さて、しばらく個人的な葬儀のお話で、リフィンのことから遠ざかってしまっていましたが、新しいカタログのほうも着々と進みつつありますので、今しばらくお待ちくださいね。
でも義母の死という体験は、今現代の嫁として、人として、またこのリフィンに携わる人間としても、貴重な勉強をさせてもらえたと感謝しています。
葬儀の朝の所までお話させて頂いてましたよね。
参列者は私たちも含めて14名。
司会者の方にはお義母さんの好きだった「涙そうそう」と、カーペンターズのCDが渡してありました。
お経が終わると、40年以上に渡って、親族以上に深いお付き合いで、お互いになくてはならない存在である方が、お別れの言葉を述べてくださいました。
溢れ出さんばかりの涙をこらえながら、ゆっくりと丁寧に語りかけてくださいました。
昔の本当に苦しかった時を支えてきてくださった方で、今でも決して威張ることのない、常に控えめなご夫婦です。
一つ一つの思い出話をお義父さんも、ゆっくりと頭に思い巡らせているようでした。
そして最後に、これからも若い二人を精一杯助けて、力になってゆきますと、力強くお義母さんに誓ってくださいました。
この度の葬儀に関しても、私たちに代わって早くから段取りをしてくださったり、いざというときに動いてくださり、今回もまたたくさん助けていただきました。
私たちこそ、本当にいくら感謝してもたりないお二人なのです。
続いて孫三人が棺のそばに出て行って、お別れの手紙を読みました。
私も書かせたいと思っていましたし、司会者の方も書かれてはいかがでしょうと、一番最初に提案してくださいました。
前日、上二人が頭を突き合わせていました。どんなことを書いていても、訂正はしないし、こんなことを書きなさいということも一切いうまいと決めていました。
「おばあちゃんへ
 おばあちゃん、病院でよくがんばったね。
 ぼくたち、わたしたちががんばるから、安心してください。
 おばあちゃんがいないのはさびしいけれど、
 ぼくたち、わたしたちががんばる から、天国で見守っていてね。
  
 どうしてもさびしい時は、おばあちゃんと楽しかった時のことを思い出すよ。
 そうすれば、さびしいのもどこかへいってしまうと思います。
 おばあちゃん、さようなら。
 いつも優しいおばあちゃんでいてくれてありがとう。」
末っ子もちゃんと自分の名前をはっきりと言えました。
そして手紙を棺の中へ。
見事に飾っていただいていたお花を、それからみんなで入れてあげました。
その時です。末っ子が嗚咽をあげて泣き始めたのは。
声をださないように、必死にこらえるようにして泣きつづけ、私にしがみついて離れませんでした。
自分の名前を言うまでは、必死にがんばっていたんでしょう。
皆も涙が止まりませんでした。
その時は何も思わなかったのですが、新しいタイプの棺のせいか、釘で順にふたを打っていく作法はありませんでした。
釘で打っていくのも何か理由やいわれがあってのこととは思いますが、私としてはやはり無い方がいい。
母の時、みんなは静かにコンコンと打っていくのに、最後葬儀社の方がカンカンと音も高らかに打ち付けるのを、耳をふさぎたい気持ちで聞きました。
「そんなに大きな音を母さんの耳元でさせないで!」と。
閉じ込めてしまうと思うと、やはり辛い気持ちが一層高まります。
気がつくと「涙そうそう」の曲が優しく流れていました。
本当の別れの時が刻々と近づいてきました。末っ子はまだ泣いています。
 

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