通夜

通夜にも親戚は招きませんでした。
というのもやはり年末で新幹線はいっぱいだろうし、お歳の方に立ってまできてもらって長い夜を越してもらうのは申し訳ない、という義父なりの心遣いでした。

それを、冷たいと感じる方も、それもそうだ思われる方も、そうであっても行きたいと思われる方も色々だと思います。
31日は斎場が昼の12時までしか開いていないということで、葬儀が10時からでしたので、遠方の方は朝一番でも間に合わないので、行かせて欲しいと連絡があり、来られました。
あれだけ頑なに、来なくていいと拒んでいた義父でしたが、やはり懐かしい昔話をアレコレしていくうちに、優しい顔になり、とても嬉しそうでした。
やはり、通夜というものはみんなでわいわい言いながら、普段会えない顔が集まって懐かしい話をする、やっぱり大切な、いい時間だと私は思います。
特に子にとって親は親であり、親の顔の部分しか知らないわけです。
でも、親の顔ではない、、他の人に見せていた顔、若かった頃の話、親は話してくれなかった結婚の馴れ初めや、今は笑って話せるいろんな揉め事やできごと。
そんな知らなかったことを色々と聞くことができるのは、やはり通夜や法事のとき。
私自身も早くに母を亡くしましたから、自分の知らない母の話を、誰かに聞かせてもらいたくなることが、今でもよくあります。
来られた方も、やっぱり懐かしい顔に出会え、懐かしい話をする機会が出来たことで、改めて故人のことに、より一層の思いを馳せることができるような気がします。
アルバムを持ち込んでいましたので、それを見ながらビールがどんどんなくなっていきました。
そうそう、子どもたちも冷蔵庫のジュースをとうとう発見してしまい、
「今日と明日は好きなだけいいよ、おばあちゃんからのプレゼントだね。お礼を言っとくのよ。」
という返事に、「やったー!おばあちゃんありがとう!」とかなり遅くまで、いつもと違う夜を過ごしていました。
5日間連続で泊り込んでいた主人はさすがに途中からぐっすり。
亡くなった日は本当は私が行くはずだったところを、「やっぱり俺が行く。」
と泊まっていました。
やはり親子ですね。なにかそうさせる力が働いたのでしょう。

コメント

  1. お通夜とは夜を通して亡き人を偲ぶことだと言いますよね。
    大切な人のご逝去を偲びながら命の儚さを自身で考えるときだとお聞かせいただいています。
    特に子供さんたちにはこの機会を通じて「いのち」についての会話が大切ですよね。おばあちゃんの想い出がいつまでも皆さまのお心の中に生き続ける、それが亡きお方への一番のご供養だと・・・。
    この悲しい事を書かれるチーフ様のご心情お察しします。
    ・休止していましたコラムですがこの度ブログにリニューアルしましたので落ち着きましたらどうぞご訪問下さいませ。
    毎日読ませていただいてますので・・・。

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  2. いつもありがとうございます。
    そしてリニューアルされたことを「独り言」で知りとても気になっていましたので、お知らせくださってとても嬉しく思います。
    ままごんさまも、無事たどり着いていらしたご様子!勝手に空想の世界を広げてしまい、PCの前で口元が緩んでしまいました。
    これからもお互い、また新たな輪が広がるといいですね。

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