私のドライブ・マイ・カー

今日は亡き母の誕生日。明日は亡き姉の命日。

先日ドライブ・マイ・カーを観てきたのですが、それぞれの胸の内に閉まってある「私かもしれない」を 私も持っています。

忘れもしない、25年前の3月4日。亡き母のお墓をきれいにして、お花もお供えして、夕方姉の所に行って、

「今日はかぁさんの誕生日よ、おぼえてた?ちゃんときれいにしてきたからね」、ってしんどそうな姉に伝えたんです。

声はもうあまり出せなくて、でもちゃんとうんうん、って頷いてありがとね、ってふうに。

そして、とても安心したような表情をしたんです。 

その夜中、病院から連絡があって、駆け付けたときはまだあたたかくて。でももう呼吸はなくて。

私がかぁさんのこと、言っちゃったから、迎えに来たんだろうかとか、安心し過ぎて気が抜けちゃったんだろうか、とか

もしかぁさんのこと、言わなければもう数日でも頑張れたのかもしれない。幼い息子たちにも、もう一度でも会えていたかもしれない、とか

今でも、思い出すことがあるのです。

「それでも、人は生きていかなければならい。」って主人公西島さんが柔らかな表情で言うんです。

そうなんですよね。

なので、明日私はお墓に行ってきます。話をしに。自分に向き合いに。そしてまた、生きるために。



 

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