67年目の朝

ヒロシマの67年目の8月6日の朝がきて、そして夕暮れを迎えようとしています。


平和公園を訪れたことはありますか?

私自身は、小学生の時は遠足で。中学生はグループデートで。高校生はフラワーフェ
スティバルのついでに。

正直、な~んにも考えちゃいなかった、ただの子どもでした。

でも、意味が無かったとは決して思いません。怖い!気持ち悪い!なんなのこれは!

というような子どもならではの受けとめかたで、その時何かを感じ、記憶したはずで
すから。

やがて大人になり、中国の留学生を連れて行く際に、外国の人に説明する時の言葉や
内容に、自分なりに少し気を遣った記憶があります。

そして親となり、親子平和学習で子どもと共に。

ようやく、伝える側としての責任のようなものを少し・・・・・でも、やっぱり大勢
で行くわけで、どこか遠足気分があったことは否めません。

それから今年5月、とある勉強会で広島市内に行くことがあり、県外からも来られる
知人が、せっかくだから平和公園に行ってみたい、というリクエストがあり

待ち合わせをして平和公園へ。

今回改めて思ったのですが、平和公園へは、何度も足を運ぶべきだと。

小学生が感じること、思春期の子どもが思うこと、大人になって考えること、そして
親となって解ること

それぞれに違うと改めて思ったのです。

そして、伝える側も相手がどこの国の人なのか、いくつの人なのか、どんな立場の人
なのか大勢なのか、少人数なのかで、話したいこと伝えたいことは、違ってくると感
じたのです。

被爆者の方々は、伝えたいことをたくさんたくさん持っておられます。

文字や映像だけではなく、自分の言葉で伝えておかねばと、必死な想いの方々が平和
公園にはいつでも待っていてくださっているのです。

今回、とある年表と写真の前で立ち尽くす私達に、声をかけてくださったかたは、
淡々とでも静かな熱を帯びた声で、語ってくださいました。

私達の知らない、8月6日8時15分以降のことを。

教科書にも載っていない、あの時起こった自然のチカラ、のことを。

改めて、私達はなんにも知らない、ということを思い知らされた気がしました。

何度も足を運んでいるにも関わらず、です。広島県人でありながら、です。

人の記憶は薄れます。それはごく自然なことです。決して悪いことではありません。

でも、忘れてはならないことが あるのです。

どうぞ平和公園へ、足を運んでみてください。出来れば少人数で。決して観光地では
ないのです。

被爆者の方の、生の声で、あの日のことを聴いてください。

いつかは、いらっしゃらなくなる日がくるのです。

その事を肝に銘じて、私達が今すべきこと、繋げていくべきことを真剣に取り組まね
ばと、言い聞かせる 8月6日なのです。

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