蘇る記憶

娘が成人式の前撮りをするために帰ってきました。

成人式の前撮り、っていつのころから市民権を得てきたのでしょうね??学校もそうですけど何でも早目早目に人を確保しようと、

いろんなメリット感を打ち出しつつ、早く決めなきゃ損よ!!みたいになってきていますよね。

成人式の着物をレンタルすれば、いろんなモノもコトも込み込みで安くできて、早く決めなきゃいいのが無くなっちゃうよ、って乗せられているとは分かっていても乗ってしまっている現実。

花嫁さんじゃあるまいし、前撮りだなんて贅沢な話よね。いつからこんな風潮になったんだろうね、と娘に言うと

「これも親孝行らしいよ。」ってもっともらしく即答。

いやいや、成人した晴れ姿を見られることは嬉しいし、その支度が出来るってことは確かに幸せなことですけど、お金払うのこっちですし、なんやかんや段取りするのもこちらなんですけど~~~~

といいつつも、やっぱりせっかくなのでと私も七五三以来、久しぶりに喪服以外の着物を着て家族そろって写真を撮りました。

当時まだ時々我が家に出入りしていた呉服屋さんがいて、おばぁちゃんがいて、おばちゃんも来て、もちろんかぁさんが居て、そうそう母方のおじいちゃんも来て

ワイワイ賑やかに反物を広げて、三姉妹の為の振袖を選んだんですよね。

若い頃呉服屋にいたことがあると、おじいちゃんが慣れた手つきで反物をクルクルと巻き戻す仕草に、初めて知ったおじいちゃんの特技にビックリしたんですよね。

その時小学生だった私は、着物より帯より長襦袢の孔雀の模様と柔らかいピンクの色合いに感動して、見えないのになんでこんなに美しいものを・・・・と思った記憶があるんですけど

娘も初めて長襦袢を見た時、「これきれいだよねぇ。これで十分なのに」ってため息混じりに言ったので驚いたというか嬉しくなりました。

あの時居た人たちは、ほとんどもう居なくなってしまいましたけど、こうやって着物を通してまたいろんな記憶が蘇ったり、映像が思い浮かんだり。

松竹梅があしらわれた古典的な着物は、今でも色褪せることなく私の記憶も色褪せることなく、こうやってまた娘といろんな話が出来ること

やっぱり親孝行というんでしょうね。

長襦袢も読めないし、単衣も読めないし、腰巻きなんて言ってもチンプンカンプンな現代っ子に一つ一つ教えながら、幸せを密かに噛みしめておりました。




晴れ姿を見せる双方のおじいちゃんもおばあちゃんも居ないことは、本当にとっても寂しいけれどちゃんとこうやって繋げられたことは




やっぱりこれまた親孝行といえるんでしょうね。一つ役目を果たせた気がしています。







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