やめたこと
今日は、せっせとカタログをセットする日。本日用意したのはワーキング系のユニウエアカタログ。こちらは送る部数が色々様々なので
段取りも大事で手間なんですよ。
で、多く送る先には箱で、箱は冊数多いから重いので腰痛い^^;
少ない先には袋なんですけど、エコの観点も含め、丈夫さも求め、でも価格も抑えたいのよ・・・・ということで新しく作った紙袋、ホント丈夫で気に入ってはいますが
丈夫なので、折りたたむのも結構大変で、手が痛い^^;
とはいえ、総出で頑張りまして、ちょっと途中ハプニングありながらも、なんとか終えることができました。
コロナになるまでは、箱を積み上げて尾頭付きの鯛だのお酒だのをお供えし、吉備津神社の宮司さんに来ていただき、恭しくお祓いをしていただいて
カタログ出荷式なるものを行っていましたけど、コロナの時に人が集まることとか、密で作業をするのはいかがなものかとか、
結局コロナを機にやめて、それきりです。
コロナが無かったら、今までやっていたから、と疑問を感じることなく、まだ続けていたかもしれません。
初めてやらなかった、コロナの時は 精神的な部分、気持ちの上で、これで良かったのだろうかというような後ろめたさのようなものもありました。
儀式として、節目として、商売として、とても大事な社内の行事であったことは間違いありません。
でも正直、これでやめられたな、という思いもありました。
出荷式なるものを行わない分の労力や経費、時間が生まれたのも事実です。
いちどやめたことは、そう簡単には復活しません。出荷式を行わないことにもう後ろめたさは、ほぼありません。
ただ、ちょっと心がチクっとするような、本当によかったのかな、は一瞬よぎります。
昔は・・・という思い出に変わっていっていることも事実です。
出荷式に限らず世界中で、色んなコトやモノがコロナを機に止めたり、消えたり、大きく潮目が一気に変わったことは間違いありません、よね。
正解は、わかりません。
でも、このカタログが無事届きますように、誰かのお役に立ちますように、という想いは変わりません。
ホント、正解ってなんなんでしょうね。誰が決めるんでしょうね。誰がわかるんでしょうね。いつわかるんでしょうね・・・・・
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