30年という年月

阪神淡路大震災から30年

今年の年賀状に、「初めて今年は集いに参加してみようかと考えています。行けるかな。」

とありました。

30年前の今日、姉妹で住む下宿先で、私の同級生は亡くなり、妹さんは今は2児の母になりました。

その妹さんからの年賀状です。

「行けるかな」、の一文が、とても重く深く、そして私たちには計り知れない複雑に絡み合った心情なのだろうと

胸がギュッとなりました。

時薬という言葉がありますし、確かに時間は少しずついろいろなことを和らげたり薄れさせたりしてくれます。

30年という月日が経過して、やっと集いの場に行こう、という気持ちになれた彼女と、それでもやっぱり行けるんだろうか、私、という不安。

続く震災、火災も、そして戦争も・・・・・そんな方々が、日本に、世界に沢山たくさんいらっしゃることでしょう。

彼女は行ったのでしょうか。行けたのでしょうか・・・・

思い出すことが辛い日でもありますが、思い出すことが供養にも繋がると思います。思い出すことで我が身を振り返る日でもありますね。

ごいちゃん、ちぃちゃんは一歩を踏み出そうとしたんだね。すごいよね。がんばったね。

行けたのかな?どうだった??

聞くことも、正直勇気がいるけれど、聞いて、いろんな話をしたいな、と思う今日です。

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