3月11日を前に
明日は3月11日
あの日も日中は春うららな、日差しの気持ちいい日でしたっけ。
さっさと東京に向かえばよかったものの、ちょっぴり欲を出して横浜に寄ってからと地下鉄に乗っていた最中に
長い揺れと、長い停車時間の末、地上に出ると改札口が封鎖され、駅員さん達が拡声器片手に走り回っている今までに見たことのない景色でした。
地下鉄の中のわたしたちは、幸いにも建物がぐらんぐらんと揺れる景色を見ることはなく、揺れも長いけれどそこまで驚くような縦揺れでも激しい音もなく
ただ、長いな、という感覚で済みましたが
あのビルの一群のぐらんぐらんと揺れるさまを見てしまった人は、当分の間本当に気分が悪く、恐ろしかったと口々に仰っていました。
アラームが鳴り続くあんなにも不安な一人ぼっちの夜は後にも先にもありませんが、それでも記憶は薄れて行き、日々思い出すことも滅多にないのが正直なところです。
あの日を体験した身としては、被害の無かった西日本の煌々と点いている灯りや、自動販売機の灯りにすら憤りをなんだか感じてしまっていましたが
それも、やっぱりもう忘れかけています。
懐中電灯の電池も怪しいし、水のストックだって数本くらいしかありません。
苦しい記憶や痛みは、薄れていくほうがいいに決まってますが、それでもやっぱり忘れちゃいけない記憶も、あるわけで
明日は、ちゃんとあの日のことに向き合って、東北の皆さんをに心寄せて、手を合わせたいと思います。
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