泣きながら笑う日
声に出してみたら、あっさり話が進んで「しゃきょう」こと社会福祉協議会にて受け取っていただき、子ども食堂などで活用していただけることになりました^^
で、書類を書いているときに、ふと絵が見えて、説明を読むと
『泣きながら笑う日』の記念に宮城まり子さんから、と書いてありましてね、一気になんだか色んなコト、ん??そういえばって思い出して
『泣きながら笑う日』を検索すると、福山で撮影された映画だったんですね。
幼い頃そういえば母と観に行ったか本を読んだか、聞かされたか、やたらその題名がリフレインして、母が宮城まり子さんのことを好きだったこととか
ハンディキャップを持ったゆうくん、が幼稚園にいて、母がずっとお世話をしていて、お集りの時もちっとも並ばないし、みんなお部屋に入っているのいつも母の膝にいて
当時の幼い私には母のお膝を取られたようで、ちょっと寂しかったりしたこととか
でも、そういえばその後小学校に上がった私は、やはりハンディキャップを持った同級生の隣の席でお世話係みたいなことをして
長い間、その子のお母さんから年賀状を私宛にいただいてて、でも途中から養護学校に行ってしまって、それでも時々母とその子の話をしていたこととか
50年前、まだインクルーシブ教育なんて言葉や概念は育ってなくて、でも母は当時それを実践してたんだなぁと
改めて母は教育者だったんだなぁ、って宮城まりこさんの絵を見ながら母のことを沢山思い出したりしてしまいました。
ゆうくんも、かっくんも、どうしているんだろうか・・・・
様々なハンディキャップと共に日々を暮らしている人がいることを、だから今すぐ何ができるわけではないけれど
ちゃんと、思い出しておきたいな、と思った社会福祉協議会での出来事でした。
コメント
コメントを投稿